2016 06 29

 

 

 

25日、弟は結婚式を終えた。自分は甥っ子の付き人・給仕をずっとしていた。余計なことは一切言わなかったけど各種プレッシャーじゃないけど何かを与えておいた。

意外とアタマは回っているのだがそれを言葉にしたり文章にしたりはあまりできぬ。本気を出して喋ったり酒を飲んだりするのはもっぱら家族のみだし、それでいいとすら思っている。しっかり者でいるのはすごく疲れることである。疲れるのは、制御できていないのに本当は嫌なのに、なし崩し的に、習慣・慣習・儀式・儀礼を遵守・履行してしまうからであって、いくらマナーよく振る舞ったってそれはマトモだとか偉いとかそういうことにはならない。

世間体とか社会的立場とか、そういうものに流されずに、自分のプロダクションを遂行したほうが良い。今まさに絵を描いたり譜面を書いたりしている人、は、人の目なんて気にしていない。どう思われるかよりもただただ己を納得(絶望)させたい、早くたどり着きたい、ものにしたい、それが欲しい、という渇望に突き動かされている状態。見返りなんてない。むしろダメージ。

自分のプロダクションってなんだっけ?と最近思う。表現という言葉は皆大好きだけどそれはダメだ。言わなきゃ書かなきゃ伝えなきゃ分からないから表明は大事であるが、表現というとすぐドキュメンタリー番組J-POPアコギ弾き語り、になってしまうから。そこにすぐやられる一般ピ−プルは、馬鹿だなぁ!

 

じゃあなんだ。なんなんだ。問い1.何をするのですか?➡︎答え.それは証明、であります。

 

 

大卒就職結婚出産住宅購入、とは違った、『魔男』たちのアレがある。それは必要悪であって、マイノリティがいるからマジョリティが生きていける、くらいのもの。

こちら側にはこちら側のミッションがある。証明するためにはへりくだったり、卑下したりされたり、惨めになってはいけない。難しい。ダメージダメージ。半端ない。

しばらく逃避していた。醴泉(れいせん)は良い泉、の意味がある。コメリで買った冷風扇、はまだ生きている。USB扇風機をつけていたら、昨夜は肌寒かった。馬鹿だなぁ!

 

 

 

 

 

 

 

こないだの土日の 隙間時間でiPhoneを握りしめつつ読んでたのだが これは かなり核心に迫るインタビューなのではないか。

RA: Raster-Noton: サウンドおよび非サウンドのためのアーカイヴ

 

ラスターノートン関係は、もちろんその名を知らぬものはないと思うけれど、

今までずっと ミステリアスで、ものすごく洗練されていて…無骨な鋼の、構築的音楽、恐ろしさすら感じていたんだけども。

今回ベールを脱いだ、というか、ついにこういうこと言うようになったのだな、というか。。相当興味深かった。個人的には数年前から、なんとなくそのサウンドに、確かダイアモンドヴァージョンやKyokaがキテいる時あたりから、気さく、まで行かないけどある種のポップネス、ロックイズム、ヒューマニズムを感じていたよ。。

 

 

 

 

 

interview with Tim Hecker - “アンビエント”に反逆する | ティム・ヘッカー、インタヴュー | ele-king

 

『ハーモニーインウルトラヴァイオレット』が2006年なのが信じられん。『ヴァージンズ』は買わなきゃよかった、というのは悪い意味ではなくて、これはハズレを掴んでしまった、というのがすぐわかってしまって。あえて逆行したな、と思った。新アルバムは映画のタイトルからとったものだったのにも気づかなかった。このインタビューはまた、ぶっ飛んでいるというか、本気で答えているのか…。相変わらず何考えてるか わからん人だ。素敵だなぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 21

 

 

日記の更新が止まるというのは忙しいのではなくただ怠慢であって、ツイッターをやめたい所存であるけど貴重な情報収集源なのでやめない。

やめない、ということは、名前出し、発言もするべきだと思う。それならFacebookやれよ、と思う。でもFacebookのノリがどうにもアレでやらない。しかし他人が、自身で(ツイッターなどに)貼ったテキストはそれは読む。「自分が処理できる情報はそんなに多くはないけどそれでも、匿名掲示板に張り付いている暇がない」、くらいがベターであると極私的に思ったり思わなかったり。ワナビー。

ヨシヒデ・オオトモ氏のブログやwebちくまの連載(最高)、リュウイチ・サトウ氏の文章など。

 

 

 

町田康を読むのは面白すぎて引き込まれてしまうので、ストップした。『真実真正日記』と『権現の踊り子(あとがきは玄侑氏だった)』を再読して、『きれぎれ』を読みかけて木曜日の夜が終わった。

金曜日はsasa川くんとクルマでモスに行き、夜は某労働関係の人と飲み屋に行ったがあまり飲まなかった。新潟駅へ電車で行って電車で帰った。

土曜は夕方労働。帰宅後、「ジョイアミーアでオヤジバンドを見させられた(同級会?)」という父と話す。「せきとり」という鳥?串?のお土産。別段美味しくない。

日曜は昼から労働、バイクで雨に降られ帰宅後、帰ってきてた弟とワチャワチャしていた。姪っ子に顔面を引っかかれて少し泣いた。

月曜は堕落・退廃・絶望しつつ、夕方労働したら途中で腰が痛い。ア、と思う。あと頭痛。肩こり。痰が絡む。

 

 

 

今日は火曜日。

耳鼻科の機械のシステムが新しくなった。というので気になって行ってみたらやはり激しく混み合っていたので、多和田葉子の『文字移植』を2回繰り返して読む。内容の意味とかがもはや瓦解していてそういう書き方なのかな、女性だというのはわかる、と思いつつ。

昨日少しだけ読んだ『光とゼラチンのライプチッヒ』は、あまりなぁ。。とても面白い、というものではなく、鬱の人が書いたみたいな感じというか逆にそれがセラピー的環境音楽のように流せるといったような・。例えればブっ飛んでる映画監督が小説書いたらこうなる、みたいな。前衛的な美しい言葉の羅列。カオス。

ものすごく久々にクルマのオイルをチェックし、バイクを丹念に洗車したら綺麗になった。二度とやらないと思っていたが。

接骨院で鍼。かなりドープなところまで効いた。癒された。しかしまた保険組合?に書類提出しないといかん。保険証使うな。と。痛みの原因は?つって、労働のせい、にするとまたそこ突っ込まれて封書が送られて来る。で、労働のせいではありません。つったら、また送られてきて、今その段階。どないや。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 14

 

 

 

12日、30歳になったので身構えていたが何も起こらなかった。怠け病が出てぐずぐずしていたが、昨日から労働に行けるようになったので良かったのか悪かったのかわからないが、早く真っ当になりたいなと思う。篭りたいくせに、外界と遮断されるとまたおかしくなっていく。。外に出ると?またおかしくなっていく。

金銭面は激減に向かうと思うが、制作に向かう時間がかなり増えたと思い、思いながら、今日は家でうねうねしていた。『ゴランノスポン』読了。最初の、1話目はよくわからないので飛ばした。前に読んだ時もよくわからなかった。

 

オーディオインターフェイス経由で音楽を聴取。電気ギターREC。制作は難航。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 12

 

 

 

 

 

日曜日。誕生日。

『ゴランノスポン』再読。今年は耐えずに冷房オン。ミーハーだけどセイホーという人をネットで聴く。おもろい。

昼、絶望。夕方、走らず。夜、M田君の家へ行く。禁断の「ホワイトベルグ」を痛飲まで行かないように飲む。アルカなど興味深く聴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 11

 

 

 

土曜日。夢はもはや覚えていないがきっと悪夢。

『ダーティ・ワーク』は昨夜読みだしてすぐ読み終えたが面白かった。とてもよい小説だった。全てが丁度よい温度。ノリ。何かを埋めてくれるというか。

町田康『猫にかまけて』読了。猫をたくさん飼うひとが多い気がする。なんとなく気になって『人間小唄』を再読。読了。自己批判というか文学そのものを破壊。最高。

暑く、堕落し、今日は走らなかった。スーパーに行って、おばさんたちが邪魔だな〜と思う。ビールを飲む。禁酒をするはずがあっさり。

 

黒柳徹子の若い時のドラマを観る。役者も音楽も良い。

不寛容な社会、みたいなテーマのテレビで森達也が喋っていたがクールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 10

 

 

 

 

金曜日。会社勤めしている人は 今日をやり過ごせば休みだ、と弾む人もいる。夜は飲みに出かける人もいる。いいことだと思う。そして、

無職業の人も、やはり、今日をやり過ごせば休みだずっと休んでるけど、と思う。夜は出かけず飲む。悪いことだと思う。

 

 

 

昨夜は半ば強引に酒を飲み、ヘッドフォンで爆音で日本語ヒップホップを聴く等したが全くテンションは上がらず、胃の具合が悪くなったので、ハルシオンのジェネリックバージョンを飲まずに寝た。そうすれば翌日の昼間の気絶するような眠気も無くなるのでは、と思ったが、やはり早朝に目が覚めてしまいその後無理矢理眠ったが、なんだか息が詰まって非常に不快で気分が腐ったので、やはり薬は飲み続けよう、と思った。雰囲気的にはとても爽やかな朝だったが。

『メメント・モリ』読了、森達也の文章は不思議と読み手に、生きていていいんだな、と思わせるものがある。心に隙間を作るのだが、優しい。でも朴訥としているようで、手練れの詐欺師的な面もあると思う。今話題の映画『FAKE』も、あれ自体が虚構なのかもしれない。やり手だ。

 

その後少し失神・気絶する。

全く外に出る気が起こらない。 Macも開く気になれない。金銭を稼げる気がしない。労働を致せない。

本棚を改めると、自分でも把握していない本が結構あり、手に取りあれもこれも、とやっているうちに夕刻になり、バッシュを履いて走りに行く。ここまで来てやっと脛もふくらはぎも膝も痛まず、マトモになったなと感じる。できれば今後も定期的にランニング・ジョギングしたほうがいいのだろう。そんなに距離は走れないが、汗によって悪いもの・老廃物が出て行くのを感ぜられるのは気持ちが良い。ビールは飲んでしまう。

ずっと仕舞ってあった 絲山秋子『ニート』を読み出して、読了。あたまのいい女の人の文章。なんだけども、母性、でなく冷酷でもなく、自己表現でもなくドキュメンタリーでもなく。。面倒臭くない小説。テンポよく読ませる。毒もある。ホームページを見たらかなりのクルマ好きみたいだ。

『ダーティ・ワーク』も再読しようと置いておく。これを書きながらMark McGuireを聴く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 09

 

 

木曜。

夢は見ず。昼過ぎから雨。

散々やってきたことだけれど相変わらずMacBookProのUSBポート左側が反応しなくなり、再起動すると今度は右側が…という現象。ギターを調弦するものの録音はできず。ネックがなんだかペタつく。そのまま寂しい生音で運指を確認するが、今までどうやって(弾いて)いたのかがまた、分からない。忘れ。

読譜・記譜もできない自分の場合、(ソフトウェア内で)音を出しながらでないと全く見当がつかず、駄目である。録音する場合は、芋づる式に一気に録り続けるのだが。そういう時は、集中していて、これはダメだな、とは思わない。のちに使えるテイクを選別したりしなかったりする。

 

耳が「ヘッドフォン疲れ」してきているのでウェブ閲覧の時は音声をイヤフォンで聴くのだが、意外と印象に残ったりする。さすがにゲーム動画を閲覧することは禁じているが、昨夜観たバーベキューピットボーイズのダディがスペアリブを焼く動画のBGMは、なんだかとてもワイルドな雰囲気に合っていた。記憶。

新潟県北のDTMの人(アマチュア)の楽曲を聴いてみたりする。…

Manuel Gottschingを聴く。PRIVATE TAPES vol.6。ギターがいい。久しぶりに気持ちが昂揚した。

 

相当前の本だが、『親より稼ぐネオニート』読了、潔くあっけらかんとしたもので面白かった。なんだか妙にリアルに迫ってくるものがあった。

 

時間がうまく使えず。ふと今後の事を考えると気分がふさぎ、午後3時からまた異常な眠気に襲われ言葉を失い、頭が重く、ベッドで失神。殺人的睡魔にほとんど逆らえずに数時間眠るが、さすがにまずいと思い夕方、雨も上がったのでランニングへ行くが、今は脛が痛くて仕方がない。ついでにタバコを買うし、帰宅後ビールも飲むという行動。

何してるの?と訊かれたら、なんと答えればいいのかわからない。できれば誰にも会いたくない。だがそれでは生きてはいけない。自分の調子は自分で取りもどさないとならない。

 

内容をほとんど忘れている『メメント・モリ』を再読し、ああこの感じ、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 08

 

 

水曜日は真ん中の日。

夢の中で、自分は助手席にいる。業者の人が運転しながらジムニーのエアコンスイッチをカチカチといじり、点かないですね、あっ点いた、といったようなやり取り、自分は恐縮しているが、その後、ジェットコースターに乗ったようなスピード感。恐怖。遠くで何か寸劇? をやっている。

急に場面が反転、砂漠、流砂、の中の、オアシス状の所で、ネットでよくある怖い画像系の、何か藁人形的なものが椅子に座っていて、ぎこちない肢体を投げ出すように座っていてその表情・形相がなんともおぞましい。見てはいけないもの見たくないもの、それを見てしまってハッ!!と瞬間でパチ!と目が覚め、

すぐにああ良かった夢だ、と微動だにせずに思う。

 

 

 

晴天。暑い日。

他者に対する猜疑心・好奇心を満たそうとして、外を徘徊すると、あぶないひと になってしまうのでやめて、

インターネットをしようと決意して、改めて巷のくだらない記事を読むが、何というか、下世話な、やっぱり性欲、エロ、金欲、虚栄、にまみれていてもうなんだかうんざりしてくる。全てが猥雑に思えてくる。素直なものは正義ではない、嫌味が本心、悪とは何か、みたいな話になってくるのか。

 

例えば関西人は面白い、とか、欲望が原動力、とか、憎まれっ子世にはばかる、というのは確かにあり、妙なスピリチュアルではなく、金銭のため、私利私欲のために、やる、

そういうエピソードは稀に、心に響くものもあるが、昨今のなんというか雰囲気というか気配、を鑑みると、全てにおいて、

余裕の無い、ただセコい、狭量、傍若無人、なまま、そのまま一生を終了・完遂してしまう人類が大量生産されているのではないか。と不安になる。どこかに何かを置き忘れていたようなザワつき。そしてやがて己の価値のなさに残念になる。誰だって量産型である。

と、いうより元々そうなのか。それが元来の形なのか。変化している途中なのか、わからない。

 

とにかく いつでも、ニュースでは最低・最悪な事件が流れている。

事件だから流れる。印象に残る。

 

テレビを切れば幸福か。別段。今インターネットしない健全な人っているのか。山奥とかに仙人のようにいるのか。

インターネットは、記憶以外の、感性とか情緒、を拡張できたのか。元よりあった邪悪なものに加え、更なる煩悩と厄災をもたらしたのか。

やれ幸福になりたい。金持ちになりたい。勝ちたい。他人にそれを見せびらかしたい。ボサッとしていると奪われて笑われていく。そういうもので溢れている。しかも、個人的なものならまだしも匿名で、である。

他者に対する猜疑心・好奇心はどんな人間にもあって、それがないと狂人のようになってしまうので必要でもあるのだが、人間というものは、時間があり、孤独であり、雑念・煩悩に絡まれると、そのまま卑しい方向へ傾倒していくようにできているのである。それは自信が無いからである。充足・満足できていないからである。原因は己にあるが、己などといった概念はもはや無く、望まれてすらいなく、特にネットの場合は匿名で顔無し状態であって、何もかもが許されているため、逸脱したカオス状態になっている。

ネットサーフィンという言葉も少し古いのか。雑学から個人の日記まで?誰でもいつでもアクセスできる。情報の波はブロック状の塊である。

波に乗れる余裕があるものは楽しめるが、そうでないものにとっては不幸をもたらすのかもしれない。不幸を感じて、また人はカオスに走るのかもしれない。

クリックして現実を変えたいのか、現実が変われば自分は いいのか。他人はどうだろうか。

知らない方がいいことの方が多いかもしれない。

 

自信がなく不安でカオス状態のままであっても、そういうの気にしていると恥ずかしいから、メンタル面で問題アリだと烙印を押されてしまうから、

男は仕事だ金だ、面子が、顔が立たない、尊厳・威厳が〜〜、と突っ走るのが美徳、男らしい、いけてる、周囲に認められる、流れがあって、それは根強い。いいとか悪いとかではない。できない人はできない。できる人はできる。

理解し合えない、という部分が根強い。

 

 

 

本を読んでいればいいものであるけども、自分のような人間にとってテレビやネットというものは、都合よく社会と接することができる手段、といえば格好が良いが、要するに

適宜・適当に好奇心を満たしてくれるものであって、なんだか何かが分かったような気になって、やはり自分もセコいと思う。そのセコさは、

具体的に言えば、異常犯罪者のニュースを見れば、ひどいな、などと顔をしかめながら、やだな、と思うかもしれないが、そこにはなぜか自信がある。見下しているからである。

『自分は絶対に異常犯罪者にならない』、とどこかで確信しているのであって、それは不思議といえる。

 

 

医療系の、やたら時間を引っ張る番組で、前頭葉に異常があって万引きしたクリーニング屋の店主、が出てくる。性欲があるからうつ病ではない、とメガネの女がしきりに言っている。あまりテレビでああいうことを言わないほうがいい。…いや、言ったほうがいいのか。意味の記憶、慈悲の心、は側頭葉。視覚に来るのが後頭葉。

 

 

 

 

 

それこそネット環境を構築し出した際は、躍起になって情報にかじりついたものであるけれども、やはり年季が経つと周期というか自分の都合というか、完全にマンネリ状態になりウンザリし、ガムシャラになり、なりきれず、また鎮静。漂流。そんなこと誰だって知っている、そしてそれを繰り返すパターンなのかもしれないが、繰り返しもいつかは終わらせないといい加減に、真と偽は自分の両目で確かめていくようにしたいが、その一歩が踏み出せないままでいるというか、自分の両目もあまり信用できなくなってきている有様のため、カオス状態になり、また夕方、ランニングをしてきた。走っている人は結構いる。散歩している犬が結構いい感じだった(小さい犬には吠えられる)。

今度はふくらはぎが痛み出して、歩く回数が増えてしまう。蚊が多い。

 

 

今日はビールを飲んでしまった。この後も(1:02)、飲むであろう。。

家族のことで、書くようでもない、くだらない、下世話な現実的問題があり、自分も意見は言うけれども、それは若干頭が痛いというか、複雑なもの。

以前、怒りを表明、激しく論じたこともあったが、今の己には説得力がなく、もはや なし崩しである。

 

 

 

 

生きているのは自分だけではない。

相手からすれば、こっちがくだらない、複雑なもの である。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 07

 

 

 

 

夢の中で。

車庫の裏の柵から弟が、顔だけ出してふざけている。鳥に模して啼き声を上げている。何だそりゃ、と思って、なぜか、「腕は大丈夫?」と訊くと、駆け寄ってきて、腕まくりをして、ほら、問題ない、と言う。お互い少し気まずいというか、重大な話に持っていかないように努めている、といった空気がある。

 

 

 

目がさめて上体を起こす際の腰痛が無く。その代わりに腹筋の筋肉と、膝が痛み出したが、それはとても軽微なもの、許せる範囲のものというか懐かしさすら感じて、やはりランニング、走るのはいい事なのかな、と思った。いつもそうだ。スポーツジムみたいなものに行ったりする習慣はもちろん無いが、人間は、働かないと なぜか走り出すものであるが、そして初回、久々に走った際、やはり途中で諦めたり、己の体力の無さに絶望するものであるが、昨日は、溜め込んだエネルギーを燃焼したのか、わりと距離を走れた。

季節も今ちょうどいいのかもしれない。夜も酒を飲まずに眠ったのでそれは良かったと言えて、そして少しだけ頭のモヤが晴れたような気がしたが、それは自分の中でのことであって、他人の三日坊主話なぞどうでもいい、何ということはないけれど、本日は、起床後そのまま鬱屈してまた眠る、という事は無くなって、清掃、CD聴取、という行動、つまり人間らしさを若干取り戻しつつあった。悲惨・陰惨なものは読みたくなかった。引っ張られたくなかった。

そのためには自分が悲惨・陰鬱でないようにしたい、それが希望であるかもしれないと言えて、希望というと大げさでテレビコマーシャル的な感じがするがそういう扇動的・商業的なものではなくて、それは、人びとが各種、意見を持ち、自分が定義・提案・提唱していくべきことであるが、ただただ意志を貫くでも、ただただ流されるだけでも、それが『無理や強引があって、本人も全く満足していない』状況になってしまったら、それは駄目で、それはなぜなら、『コントロールできない惨め』なものは、まずそれを見る者から力を奪っていき、次にその環境は己からも力を奪っていき、一方で全く生産的でも創造的でもないから。

であるか。コントロールできるものってまだあったろうか。といった事を考えているわけではなく、走っている時は何も考えない。そのあとのビールも何とか我慢する。

 

 

森達也『メメント・モリ』をもう一度読もうと思って置いておく。

 

割合的に自分の件は こう、今更というか今に始まった事ではなく、そんなに大した問題ではない。無駄に馬齢を重ねて、今月12日に三十路を数えてしまうことに後ろ暗さを感じていたけれども、ひたすらひたすら休みたかった。病、と言われても。変、と言われても。

タフガイ、みたいなものに成れなかったが、別段成れなくても よい。今はもうそれはいい。

貧乏ヒョロガリ低脳で上等、タイムスリップして 人生やり直してもまた所詮穀潰しの盆暗に生まれて、でもMacでこういうこと書いているさ、ぐらいのものであるか。いや、それはないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 06

 

 

 

一日空いただけでこう、日記というものは書きづらくなるのか、と思いつつ夕飯を食べたあと半ば事務的に誰も読まないこれを書いていて、夢の話は書かないと忘れてしまうけど、確かに夢は見たのだが、記憶がほとんどない。

 

 

 

 

月曜日はブルー・マンデー、会社員は朝起きてまた一週間が始まる。

朝から3~4回ほど嘔吐してたら、祖父・祖母が来て、それは知っていたが昼まで寝てて、パジャマで応対、という明らかに挙動不審な自分、を隠せなかった。

 

ここ数年の自分の嘔吐パターンを思い返してみると、散々飲んで帰宅、入浴、歯磨きはちゃんとして、眠り、そのあと、夜中や朝方に人知れず吐く、という方向性で固まってきている。

 

今日はもう、最低最悪の気分だったので、無理をして礼儀を払わなかった。食べられなかった。でもとても賢い人たちなので本当になんというか察しているというか‥今までいい影響しか受けたことがない。自分は、自分が愛されている、ということを実感するヒゲ面の、ちょっと変な三十路男であった。そのあとまた寝た。

庭の剪定をしてくれ、帰り、見送る時には外に出た。おじいちゃん、車に乗ると相変わらずマフィアみたい。

 

 

 

 

 

他人の夢の話は退屈だと以前言ったが、面白い場合もあって、例えばプログラマ、hitode909という人のブログをずっとさかのぼって読んでいた。

 

 

 

昨日(5日)はまたぞろ家から出ず、西村賢太『二度はゆけぬ町の地図』を読了して、うわぁ、と暗澹たる気持ちになっていて、やっぱり暴力的なものが湧いてくるからこういうものは良くないな、と思いながらもこの作家の他の著作も引っ張り出して枕元にスタンバイしておく、という有様になっている。読みたくないのだが、止まらない。なぜか、買ってある。それを、知っている。

父を見送った(帰り、見送る時には外に出た)あと、

宵の口、出掛け、元ドンバ(バンド)のM田君の家に行き、借りていたCDを返却したり、CDを聴かせてもらったりしながら、ホワイトベルグを痛飲し、結構アルコール的になっていて、それが祟っての今日の嘔吐だったが、それは行く前からなんとなく半分覚悟していたフシがあった。こちらは篭っているから、外出するだけでもう、恐怖と憂鬱なのである。

恐れおののきつつも、自分もまた調子良くまたアルバムを借りたりして、それはありがたかったけど、久しぶりに話し込んで、お互いボケてきたし、単語単語でもう、反応してしまうからなんというか、話が早いような、しかし言いくるめられそうな気配があって、やはり少し心残りだった。

 

自戒も込めて言うけども、

 

彼も自分も、音楽や本に傾倒したい、没頭したい希求が昔からあって、その反骨はいいのだが、

はっきり言って、もう、音楽的に社会性を獲得して大成することも、趣味的な納得、も、同業者からの共感も、たぶんないな、と、現在働いていない自分は、感傷的に、そう思った。こう、ひとくちに、音楽をする、いたす、と言ってもいろんなやり方があって、研究系、アーティスト系、講師系、道楽系、など各種の道があるが、どの面も、我々は無理であろうし、やはりこう、これは新潟だからなのか、差をつけたいというか、勝ちたい、という気持ちがあるのかわからないけれど、まぁそれは、いちリスナーとしては健全な姿勢には思えるが、俺たちももう30なんだぜ、という感じ。が否めなく、さすがに世間一般の、メロコアバンドでデビューを目指す、などの救いようのないものではないからまだいいが、ビート・トラックメイカーの格好よさが彼には昔からあるのだが、やって欲しいのに、あまりそれをやらず、それが疑問であって、具体的に言うと、楽曲をネットで発表してくれれば絶対に聴く、のであるが、そういったものは、過去から無い。

本当に、才と気があれば、販売目的、いやそうではなく、制作のその手をとめられずに、配布なりフリーダウンロード、場所から場所、人から人、音から音へ、移ろい、忙しく、執着せず、少なくとも心ある人々は聴いていくし、それは残っていく。良くも悪くも、たかが音楽、なのである。乱暴に言えば録音してしまった結果、が全てだし、それを、恐れていてはいけない。DJ的な、現場、消え去る音楽、そこでしかない音楽、もあると思うが、それをやれるひとはきっと、優れた録音物をも、残すだろう。

 

でも、人間も時代も変わる。耳も変わる。リマスタリングもあり得る。そこが魔力であるのだけれど、ミュージシャンは、その魔力・インスピレーションを常に待ち構えている、わけにもいかないので、平素は、現実面を万事、準備万端進めていく。そうすると『逆に常識的』になっていく。という形、があると思う。

そしてその現実面が上手くいったらいったで、またそれ自体が焦燥感を生み出すのであるが…、そこに、おもしろさや哀しみが見え隠れするのだと思う。

たとえ、現実面が上手くいかなくても、やはり逆に常識的、でなければならない。

ここでいう常識的、というのは、躍起になって「自分は間違っていない」と言わない、音について語らない、他者に求めない、ひきづりこまない、期待しない、

という事に尽きる。

 

 

うまくいかない。

偉そうに書いてきたが、自分も、ただ飲酒喫煙睡眠をしているだけで、職業安定所に行っているわけでもなく副業をやっているわけでもなく、創作活動するわけでもなく、

炊事洗濯は母親に全てやってもらっている。今回の具合が悪くなった件でも最初、心療内科に行ったのも母の運転であった。

 

 

働かないと、食べるようになってしまう。しかし、痩せていく。馬鹿なことばかり考えている。暇なのか。俺は暇なのか。暇を選んだのか。

脳は休まらないからかもしれない。一時は頬がこけ、気持ち悪く、そればかり気にしていた。

食べ物、は呑気でいて真剣なもの、好きなもの。

女性は恐怖でしかない。子ども、も何か不安だ。男は暴力の意味で畏怖の対象である。

 

 

 

電話が来、休職しているので勤務時間が足りず、健康保険料が落とせないがどうする、と言われる。手続きがあるから…

 

 

そんなことを考えながらやはり やり場のない気持ちは拭えず、部屋で口がパクパクしてまた危ない状態になってしまったので、ランニングしに行く。走って汗をかく。

かなり前に一度提出したはずのマイナンバー通知が来ていて、おかしいな、と思う。拭い去れない。全く頭は回らない。事務手続きができる気がしない。独身生活ができる気がしない。

生きていることからは逃げられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 04

 

 

土曜日になると人々は 車を洗ってドライブや買い物に行く。公園で子どもと遊ぶ。

盆暗毒男にとって土曜日は最も恐ろしい日。存在していることだけに。呼ばれることに、白日の元に晒されることに、おののく。

 

夢を見ないで起きる。晴天。昨日で五木寛之『雨の日は車をみがいて』読了。いい小説だった。昼間から森瑤子『親しき中にも冷却あり』を読みだして読み終える。2008年から家にあるのだがやっと読んだ。簡単だが使える英文、が載っていたので勉強になった。タフな女性。

家から出ない。出る気が起こらない。妙に体が冷える。腰が痛い。途中うつらうつらする。憂鬱状態というよりは現実面の心配の方が勝ってき出して、逆に安心する。

 

 

両親は各種出かけたり庭作業をしたりしている。なんとなく『ア、こいつ働いてないな』という雰囲気を察知して気まずいが居直る。今回はこっちもそのくらい本気である。その辺の話は そこはかとなくしてある。大丈夫、と答える。家で夕飯。買ってきて貰ったビール。加島屋の食材。

NHKの黒柳徹子のドラマをちょっと観る。結構いいなと思った。

その後 300円で買ってあったが初めて読む、西村賢太『小銭をかぞえて』。ページをめくる手が止まらない。卑しくて露悪でハードな内容だが、文体は現代的で、でもどっしりとして、読ませる。辟易させながら、読ませる。

今だから読めるのであろう、今まで遠ざけていたものにまた肉迫していくような感じ。

なんだか涙が出そうになる。

距離や時間が壮大なわけではなく私小説的であるから、なぜこんなにも洗練された狂気、整理整頓されたカオス。少し『古い』と言われそうな男の頑固な...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 03

 

 

もしも

ただただ他人の、『見た夢』の話に付き合わされる会合、集会、があったらどうするか。好奇心があるあなたは行ってもいい、と思うだろうが、実際はきっと 途中でうんざりしてくるだろう。イライラしてくるだろう。そこまで他人に興味がない、そこまで集中力は持たない。何時間も相槌を打つ時間は受け身だしそれはストレスだ。さすがにあなたも寛容ではない。本やCDは寡黙だし感情がない。人間が最も面倒くさいし、ほとんどの問題は人間が生み出しているという事実を改めて突きつけられるだけだろう。

 

仕事でないのに、なぜそんなことをしなくてはならないのか。

 

世の中には、他者の悩みを聞く、それを緩和・解決することを仕事でやっている人もいる、例えば心理的なお医者などだ。決まった曜日、決まった時間、それが仕事。皆が嫌がる仕事。仕事?誰かがやらなくてはいけない。いや、無いなら無いでいい。でも顧客は来る。やりたいからやってる、あなたはそこに居る。ことになっている。

よく考えれば、それは別に専門的な職でなくても そうだ、決まった曜日、決まった時間。あるいは自由業。拘束されるのは嫌か。

何時間も愚痴に付き合うのは嫌か。単純作業も嫌か。テレビで流れる商業的音楽制作も嫌か。農作業も嫌か。あなたは嫌がるか。悩むか。ほとんどの問題は人間が生み出しているか。ストレスか。

 

 

 

 

夕べはマルちゃん正麺のつけ麺、を食べたら結構旨かった。つけ麺は、マルちゃんは意外とダメで、日清のが一番。と公言してはばからない立場を保っていたがあっさり寝返った。疲れたと言いながらそういうことには体力を使うのだな。呆れる。2008後半〜からの無職時代は、小さい鍋で湯豆腐ばかりしていた(その鍋は捨てないで、と親に言ってある)。働いていないから、夜が長いのだ。少しずつ長くなってきた。痩せてきたが、自我は肥大してきた。ダイエットしてた大脳に満たすハイカロリー。自意識のメタボ。感情のフォアグラ。そういうふうに、した。持って行った。頭髪は伸びる。肉体は痩せる。

 

激しくイライラした感情で目が覚める。ほとんど叫び出しそうな勢いだった。夢の中で、母親に対してなんだかとてつもなく怒りを露わにしていた。マザコン。

枕の下にiPhoneを入れておくのだが、0120から始まる番号からの着信が直接的な目覚ましになった。弱気になっているので電話に怯える怯える。でもフリーダイヤルだからアレか、と理解する。やはりauからの光にしませんか、という勧誘。毎年かかってくる。適当に話に付き合っていると、馴れ馴れしく今払っている金額や、自分の下の名前を呼んでくるのが、マニュアル的というか、消費者とフランクな関係を構築して契約させるこのテクニカルな人間心理をついているでしょう?どう?ウェーイ?みたいなものを感じて気分が悪くなる。ア、すみません切りますね、と言って髭を剃らない。洗面しない。また寝る。光回線、興味はあるが、プロバイダーの解約が面倒で仕方ない。やる気があってもなかなか進まないんだあれは。そして今はやる気がない。

2016年で最もどうでもいい情報を記すと、自分は、枕を使わない。壁際、枕の下にiPhone。その横に頭。あとはヘッドフォンとか本とか。なぜか。それが西区Style。

 

ルールルー  ルルル ルールールールールー、徹子の部屋の音楽を聴いたのはいつだ。今日か。

 

 

 

 

 

金曜日は会社員は喜ぶ日、なのかわからないが、今時そんなことも無いのだが、そういう風潮。土日の前だから。平日仕事の人は夜は飲みに行く。商売人は儲かる。ずっとそうやってきた。いいじゃないか。いいことじゃないか。不労人間にとって金曜日は恐怖と絶望の日でしかない。一週間が終わっても何もしていない、成しえていない。

勤めている人は休むためにそれぞれ帰ってくる。ああやっと終わった、と。

毎日がホリデー、の、サービス業に従業してもいないプータローは脂汗を垂らしながら戦慄する。

毎日がワーキングホリデーでありたい。でもきっとそれも短いものだ。毎日がワーカーホリック シックハウス ハウスダスト ダストレスチョーク チョークスリーパー スリパーホールド ホールドアンドドライブボルト。ボルト徹子。ダメだ。

 

 

晴天。午後。

ちょっと提出物を出しにバイクで出かける。本当に車が多い。今後、もっと増えるだろう。帰りにタバコを買う。コンビニにチャラ男がちょっといる。今の自分はへなへな だ。

 

 

 

母親の運転。車。助手席、なぜか同行し、父の命令を受け、レンガを買いに行くというか見に行く。見本のレンガを一個持っていく。持つ。

なぜか自分は、聖書の『ヨブ記』について教えてくれ、と言う。母親があらすじを語るそれを聞いて、ああ知ってる、聞いたことある、懐かしい。と思って、鳥肌が立つ。ストーリー、おとぎ話、は何のためのあるのか。神様とか悪魔が出てくるそれは、人間のためだな、と思う。いいとか悪いとかでなくて。

もっと聞きたいと思った。

 

ほとんど注意力も洞察力も無い状態だが。、充分に眠っているのに、屋外の売り場を歩いていると白昼夢みたいだ。働いている人がいる。お客もいる。

バイクに乗る格好をしていればもっと集中力が増すだろうが、まぁ。ホームセンタームサシで。バラを見たりする。つるバラ。花って綺麗だけど名前を覚えられない。

レンガ売り場は?

レンガ業界。改めて見ると初めてだな。ドイツ フランス オーストラリア産。耐火レンガ。何が違うんだろう。 あとはボコボコに歪んだレンガ。ガウディみたいだ(?)、色々あるな。。レンガを持っていると何かをかち割りたくなる…

 

何を求めているかというと、この、

端っこがギザギザのレンガって売ってないの?。そう、あの道路とかに使われるやつ。店員さんに訊く。ない。他店舗もない。あっても取り寄せ、単位が膨大。

後でググって、「焼成レンガは商品化してるけど、波型のものは公共事業、施工した後の『二次製品』である、業者でないとダメ、」ということがわかった。

インターロックレンガ、とかいうものらしい。水はけのいいレンガ。コメリにも行ったが無かった。レンガ業界深い。セメントとかコンクリ、深い。やばい。

 

帰宅後、レンガの話で頭がいっぱいになる。 少し『症状』が出てちょっと危ない。体が動かない。言葉が出ない。不自然なリアクションをしてしまう。

居間に寝そべる。窓から雲を眺める。涙が出そうになる。

 

夕方、父と合流する母親を、駅までジムニーで送ってやる。母のオートマティック車は怖いので乗りたくないのだ。

別に慌ててないのだけど、音と振動で、助手席に乗った者にものすごく危機感を与える車、それがこのスズキの軽四駆である。名前は「スコット」である。

アーロンチェアに座り、Macの前で真顔でいると、どんどん暗くなる。ハッとする。

テレビでハリーポッターをやっている。スパゲティーを茹でて食べる。

 

 

 

 

エディションズ・メゴのサウンドクラウド

Editions Mego | Free Listening on SoundCloud  でフェネス&オルークを聴いたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 02

 

 

 

昨日はバーベキューピットボーイズがどうした、とか言っていた気が。レディオヘッドはベジタリアンだって言ってた。新作の良さがわかった。デイドリーミング。MVも良かった。トム爺。ライヴでもあの抽象さをなんとか保っていて、ロックしなくてもいいけど、高尚にならずになんとかねじ伏せて演奏しているのは、さすが。ライブの爆音、ドラマーがモニタリング大変そう。

 

死なないから今日も今日とて起きる。いい加減にうんざりしてくる。不労状態なので夢をよく見る。他人の見た夢の話なんて聞かせれても更にうんざりするだけであるが。

今日はドーナツを買う夢を見た。3つか4つ買ったが高値で驚いた。とても焦っていた。複数の女性の機嫌をとるために買っている。そしてビルの上層階に、そのドーナツの入った紙袋を置き忘れ、急いで走って取りに行く夢。警備員に謝りながら。もちろん何の意味もない焦燥感。

 

 

病的なものが少し落ち着くと急に攻撃性が増す。もちろんそれは放出しなければいいだけであるが、疲れる。ループしている気がする。

外は緑が綺麗に見える。天気は良いが肌寒い。季節もループしている。やはり6月は一番『死』に近い月。

起きぬけ、自分の部屋を振り返って、少しだけ今までと違って見える。どういうふうに?。またループか。いや、なんと、創造的に見えて驚いた。ワクワクしたのだ。これは暇人の虚言か。いわゆる「知恵」にこだわっていたのかもしれない。もっと潔癖で体系的な、「知識」的なものへの欲が湧いてきてそれはいいことだとは思う。そこには性格だとか人間性だとかルールだとかはあまり関係ない。「知識の注入」、それは幾らお金を積んでも手に入らない。。というと格好が良いがそれなら「経験」と「体験」をしろ…じゃあそうしよう、と外に出てしばらくすると、また自信をなくす。ループする。

時間と、インターネットがあるとすぐ宇宙とか星、オカルト、とかに行ってしまう。惑星の写真を見て巨大さに戦慄する。それはただの趣味のネットサーフィンである。未だに抜けられない。それでも、人生だの職だの将来だのの匿名掲示板を読んで塞ぐよりはマシである。

 

わかったふりをして生きてきたけれどそれが生きるということなのか。電気ガス水道原子力、法律宗教政治、科学、社会、言語、未だに何もわかっていない。

未だに数学がよくわからない。(例えば『ジョジョリオン』の序盤にあったようなような)解き方、考え方のヒントがわからない。答えを見ればア、そう。

これもまた、インターネット的トリビア的面白ネタを漁っても、違うなという気がする。

暗算が出来ない。そういえば暗算した時の頭の詰まる感じは憂鬱な状態に少し似ている。

 

 

映画も文学も完全に置いて行かれた感じを抱き続けている。それでもたまにザッピング的に情報収集していたが。

人は予定が無いと本棚に向かう。そしてなんとなしにページをパラパラとしてその日が終わるのが常だが、今日は、思想だとか宗教の、難解なものを読みたくなる。が、

結局同じ行動に走ることにいい加減にしろと我ながら思いながら村上龍のまだ読んでいない本を棚から取り出す。ア、と思うと寝転がり、一気に一冊読み終える。ずっと前に100円で買ってあった『マスク・クラブ』。淫猥な表紙の単行本。

呆れながら読む。なぜかというと、初読だが、自分の中では『おさらい』のような感じであって、そのくらいこの作家には調教されているというか、ああ、この感じ、と思う。懐かしい、といったような。でもさすが一気に読ませる。畳み掛けるような異様な憑依的描写。官能小説とかではない暴力。エロとフェチ。酷い死に方。男というか、オス。男を挑発する、しかし男の書き方。ハードでリアルな設定を読むと、ア、他の小説にもあったなこういうの、それのバージョン違いかな、と思い出しながら。

タイミング的に自分にヒットしたのは、普通の場合「死者の魂みたいなものが人体に入り込んで一人称を語る」、という設定は、SFだとか、安っぽくなってしまうがそうならずに、説得力を持っているところだった。『霊的』にならずに、『物質』的な部分。記憶も物質だ、アクセスできる、という。そういうものが読みたかった。10年以上も前の本だが、かなり男性像をぶった切っているな、と思う。読んで嫌な気持ちになる人もいるだろう。プライドとかそういう問題だ。でもこれは小説だ。創作だ。そこがいい。オチもなんとなく見当をつけていたが、当たり前のように読んだ。

 

 

昨日から アルトサックス奏者のジョー・ヤマダ氏という方のツイッターを読み、不思議とハマっていく。音は一切聴いていない、でも読ませるものがある。そういうものに近づくのは本当は自分は苦しい。でも読む。書いてくれるから苦笑できる。書かなきゃわからない。たとえCDだけ聴いてもわからないと思う。いや、その逆もあるのが音楽だが。

ジャズ。レコード。猫。少し偏屈。孤独。でも、まとも。

 

Webdice記事 森達也監督『FAKE』インタビュー。なんか揉めてる。。

何年間も映画というものの存在を忘れかけている。音楽と同じで、誰かが代わりに観てくれるわけではないのだ。

イエジー・スコリモフスキ監督『イレブン・ミニッツ』凄そう。『エッセンシャル・キリング』の監督。

でもまずは『レヴェナント』『バードマン』、結構前だけど『ゼロ・グラビティ』あたりから。

フェネスとジムオルーク新作か。

 

デヴィットボウイの死って大変なことじゃなかったか。monoっていうシャレた雑誌の記事で少し読んだけどそそられた。一枚も聴いたことない。

「Songs」っていう番組で見たけどプリンス、すごいな。奇妙な人だが、テレビで聴いてもギターがすごかった、。

冨田勲氏亡くなって1か月。CDで欲しいのはレイハラカミ氏 ヨコタススム氏。必ず聴くだろう。。

 

 

 

 

 

夕方になる。少し歩く。歩いたってわからない。気は狂わない。店員に話しかけない。道端で怒鳴らない。当たり前である。コソコソしても仕様がない。休んでいる。家に居る。法は犯していない。死にたくない。うまく喋れない。自分はミニマルでプアな世界をやっている。それでも時間は永遠に足りない気がする。そう言いながらここまで来た、のではなく、どこにも行っていない。

何となく気配で察す、家族はそれぞれなんだか色々あって忙しそうだが、自ら招いていない事に振り回されるのならその忙しさは要らない、と言いたいところだが説得力も何も無い。ただの怠けか。。甘えである。何も辛くないはずだ。これだけたくさんの物事、面白いもの、コンテンツがあるのだから。好きなことしていると時を忘れる。自分などどうでもよくなる。

自分について書こうとしなくなる、自己なんてものに興味が失せる、インプットするだけの媒体でいいではないか。でも『わたくし』は必ず頭をもたげてくる。言いたいから、書きたいからこそダークな方向へと引っ張られるフシがある。自我がある。まだこだわっているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 06 01

 

 

 

水曜日ってどういう日なのか。でも休日の人もいると思う。働いていないと、水曜日は真ん中の日。以前の無職時代もそうだった。

 

字体的には(木)よりも、(水)の方が好きだ、といきなり言われてもどうしようもないが、

(金)の派手さもなく、(火)のゆらめきもなく、かっちりしているように思う。なんだろうこの干からびた乙女チックな感想は。

 

 

右ひじを支点にして、旗を振るような、何かサインを送るようなポーズをしながら、あ、寝ぼけてるな今、と思う。

また起きる。眠い。ものすごく眠い。昨晩は珍しく酒も控えて空腹で眠ったので、早く早く何か食べたいと思ってそれはいいことだ。なぜか、

アメリカ人の革ジャン・ヒゲ面・サングラス・入れ墨野郎達が、ものすごくワイルドなバーベキューをする動画、を、寝る前に観たのを思い出す(調べたら『バーベキュー・ピット・ボーイズ』だった)。なんというか、ポジティブな肉食。笑いとアメリカ。でも結構ポリシーとかルールがあったり。

夢うつつの中で、その、HAHAHA気にしねえぜ!とか言いながら畜肉を焼いている米国人男性とか、あるいは全くのベジタリアン、とかのことを、考える、というかそれが、目の裏に浮かぶ。『誰もが持ってるイメージ』で。ありがちなやつを。外国の新聞の風刺画みたいな。

 

 

妄想的に言えば頭の中に「ガッ」とスピーカーが埋め込まれたような。それは勝手にノイズを出すし、自分はというとそのスピーカーの表面の蜂の巣状のパーツをずっと清掃している、清掃したいと思う。恐ろしくなる惑星の画像、足元がすくわれる、『両手両足で丸太にしがみつく』イメージは、MDウォークマンで音楽を聴いていた時期から持ち続けてきた夢の中の感覚。

障子とか、フィルター、なんらかの設備の空気取り込み口とか、格子状のものが好きなのか、いや、よく見ると気持ち悪いな。五角形も六角形も怖いな。

 

 

アゥゥゥ。パァァァァウ。とか道端で言ってたら気狂いだ。アウトだ。

アウートすると脳が萎縮するのかな。正式な狂気。非正規な常識。血管はノズル。心臓はポンプ。物質なんだから感情だって魂だって物理学的に言ってくれればいいのに。やはり尊厳、みたいなものか?いや、トローリングは釣行。

謫居は「たっきょ」と読むのだ、難解な文章も、何回も何回も読み直せば理解出来るようになる、自分の中に正解があるわけないだろう。ぼけなすの生姜載せたやつが。馬鹿。

 

 

 

抜粋:(哲学探究.com)

記号の役割とは、その代替物という資格でほかの事象を喚起することによってこれを表象するものであり、これにかわるもの」であり、エリック・ビュイサンスによれば、こうした代行・再現物のうち、発信者にコミュニケーションの意図がはっきりしている「信号」のことである。 欧米における記号の研究は、「ロゴスと声」「事物と名称」「観念と表象」の二項関係に限られてしまう。』

 

記号がいかにもオリジナルと指差す代用品のように見えていたのは、非実体的・恣意的関係が物化して結果の錯視のせいである。文化においては、オリジナルをもたないコピーがまた別のコピーを紡ぎだす自己増殖の動きしかないという考え方であって、これはボードリヤールの<シミュラークル><実在の砂漠>と行った概念を用意するものだった。 何らかのもの・こと・ひとに対する社会的行動は、つねに広義の意味が介在している。したがって、記号学/記号論の知見は、社会的存在としての人の行為の理解に寄与している。』

 

 

 

 

妄想球体スピーカーが立体的にバウンドしながら色々なことを言う。俺にだけ言うの(?)軍人みたいな(?)なんか昔のテレビの司会者みたいな声だ。『野心とか野望を、鎮めるように静めるように自分でしなけりゃいけないんだ』、『何でもいいから、何でもいいのに、自分で自分を許せないんだろう』、『疲れるまでやりたい、何かを、って野郎どもはそう思っていて、それはやりたいとかやりたくないとかではなくて時間を忘れさせてくれるものであって疲れれば寝るだけだからそれをやり続けるしかないんだ』。『思い当たる節はあるだろう、わからないとは言わせない』!

 

 

 

 

 

 

 

健康診断のために病院に行く。本格的なものではないけれど、毎回、これはありがたいことであるんだ、と自分に言い聞かせながら行っている。自分の保険証発行された日を見て改めて「5年…」と思い少し恐ろしくなる。クルマで行ったことはない。バイクで行く。

病院は朝からいつも、たくさん人がいる。働く人もたくさんいる。老人の群れを見ていると、自分はまた残酷な感想を持ってしまう。

視力だけはまだ良い。

帰り道 瞬間的に雨に降られる。寒さを感じる。少し戸惑って、その後快晴。道も乾き、焼きたての、バ「ケ」ットなのかバ「ゲ」ットなのか、バタールなのか、正直まだわからないフランスパン的なアレを買って帰り、サンドイッチ。コーヒー。幸福を感じた。ずっと味覚が弱い。もっと旨いはずだ。

(パンの呼び方は後で調べたが、何回読んでも覚えられない  http://www.panpedia.jp/world/france.html)

 

 

 

 

6月である。のに、その寒さはなぜか、両手両足から取れなかったので2時間くらいタオルケットにくるまって眠り、その後 ものすごく行きづらいが用事を済ませに行き、もう少し休ませてもらうことに話は運んだのか、なんとか行ったのか、そういう風に進んだのか、本当はどうなのか。正直言って全く働く気は起きないというかそれを想像できない。もう笑ってしまうくらいに、それをやるつもりはない。笑ってしまうくらいに、こんなになってしまうなんて。といったような。

「それならばもういっそ…」頭の中で悪魔がささやくが、それでも、今回はもう子供じゃない、昔のように最悪な方向には絶対に持って行きたくない。システマティックにプラグマティックに。ビジネスライクに。そうだ。

 

ほんの少しだが気も晴れたので久しぶりにガソリンを入れてやったジムニーは機関良好だったので良かった。いつも行くガソリンスタンドのおっちゃん(バイク乗り)が、昨日も話し掛けてきたんだが、また笑顔で挨拶してくれる。有難いが、目を合わせられない。

駐車場の草むしりをした。手放すものはいつでも手放せるしな、と思った。駐車場からの帰り道というか住宅で、バッテリーがあがった車がいた。

 

 

夕方早い時間から飲酒してしまったがそうでもしなければいられなかった。働かず、飲んで、食べる。喫煙もする。タバコは抜け目なく買っていた。小銭をなるべく使うようにいつも思うが、結局、札を出して会計してしまうんだよなと思った記憶があるから確かに買った。確かに馬鹿。

忙しければニュースも新聞も見ない、暇になったら目につくようになるけれど それは自分の中で消化できない。政治、事件事故、ただ眺めているだけだ。反応してもいいが、その時間は、その余計な感想は、今までなかった時間であって、批判めいたことを言ってみても己がつらいだけ。そのくせ、事件事故が、目に見えて己に降りかかれば大騒ぎする。

本気で選挙、投票、増税反対、したか。してない。総理大臣になれるか。なれない。

(ムネノミクスは失敗だ)

 

 

 

宵の口、から夜の時間が物凄く具合が悪い時間帯である(と書くとそれを確かに認めてしまうことになるが)から、なるべくすぐにMacの前に行く。すぐ深夜になる。深夜になるのを待っているフシがある。すぐ深夜になるように、する。働かずに、こういうことを書いていると深夜になる。そうなるようにしている。大げさかもしれないが、草むしりや雪かき、まではいかないが、テレビをポカーンと見ているよりは、大事な作業、ですらない、作業している自分をいちいち書いておくという。

若干 前の自分だったら今のこの行動を許さないと思う。許されないなら許されるようにしていく。チラシの裏では足りなく、日記帳では「重」すぎる。

ネット上には、自己啓発的な虫酸の走る文章もあれば、一読で人となりがわかるような文を書く人もいる。フレーズや形式がどうこうではなく、表面的なことではなく、どうしても文章で分かってしまう。本当のことなんだろうな、と思わせるものがある。最近はその、どうしても分かってしまう、というところに興味を持っている。自信は無いが、分かるのだ。

金儲けや自己啓発的が好きな人は、自信を持って「どうしても分かっている」のだ。

 

 

 

深夜は守られている。深夜に書いたものは文も音楽も確かに、ダメだが、守られている。深夜に考え込んでもダメだが、深夜は守られてる。

夜の世界、とかではない。深夜そのものが誰かを守ってくれてるわけでもなく、ただ、深夜は守られている。徹夜しなくて済むならば。時間があれば。時間を取れば。できればどこも痛まなければ。

どんなにダメでもひどくても悪でも、あとは寝るだけ、のゴール(なのか落とし穴)が、「終わり」があるからなのか。一度リセットできるからなのか。眠る瞬間、一日を瞬間で振り返って自分を許しているのか。「ザ・体験版走馬灯!死なないVer.エクスペリエンス」なのか。

眠れないならそれでいい。夜。眠れなきゃ困る。夜は守られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 05 31

 

 

 

天気も良く。

望んで暗い話を聞きたいのか。それは嫌だ。面白いものを見たい。聴きたい。

 

 

本当はふざけておちゃらけてそのまま生きていきたい。生きているだけでいいではないか。と思う。

 

 

起きる瞬間、

お前なんてまだまだだ、と聞こえる。。老人ではないんだから。まだ若いんだから。健康なんだから。まだ経験浅いんだから。五体満足なんだから。まだ何にも分かっちゃいないでしょ、何にも悟れてないでしょ、黄昏るのはまだまだ後でしょ。寝てるんじゃないよ。そういうことが。

 

 

なんとなく性的な夢を見たような気がする。そういうのはあまり無い。別段空を飛ぶとかそういうことではないが。

性、というものがあるから人間は生きていけるのだな、と思う。理由は色々とあるだろうが、性欲的な意味と、男女の棲みわけ的な意味あいが ある。今はいろんな性を名乗る人が増えている、と聞くが、本当に真剣にやっているのならいいと思う。そういう話題は、どうしても下世話な方向に行きたがる。

 

ああ、でも「男は働いて家族を養って・・・」、。等の、

社会『性』の方もいろいろとある、と思いたい。

 

わざと弱者側につくのは紳士ではない。じゃあベストを尽くしたか。と言われると ため息。

 

 

 

 

 

相変わらず生ぬるい自己憐憫モードなのかわからないが朝は来ないでほしい。目がさめるとカーテンの隙間から大体の時間帯が分かってしまうから画鋲で塞ぎたくなる。以前そうやっていた時期もあったな、と思う。

長年の悪しき習慣で

夜中になるとアルコールを摂取したくてたまらなくなりついつい手を伸ばしてしまい飲むが実際あまり旨いとは思わない。自分で買ったものではないウィスキーやビールであっていつかは無くなるのだから買わなければならないが今は働いていない。だから後ろ暗い。

飲み込む。その後に睡眠導入剤を飲む。そんなことをしているから日中も、いつまでたっても口が渇く。奥歯に何か詰まっているのか?と思って見てみたら口内炎、なんて10年ぶりくらいに出来てしまってショックを感じる。

なんとなく減らしてはいるつもりであっても、やめられない。今、煙草を取り上げられたら発狂するかもしれない。

テレビがまたよくわからない。ニュースはいつも見ているわけじゃないけどひどい交通事故が多い。CMがうるさい。学生の話も聞きたくない。将来の不安も聞きたくない。

心を病んだ人の話なんて聞きたくもない。Facebookのパーティーも見たくない。河原でバーベキューは…片付けが大変だよ、と思う。

 

 

洗面、髭剃り、その後、寝るな!寝るな!と自分に言い聞かせる。ぐずぐずしていたら昼過ぎになる。 

5月最終日なのに、肌寒くて仕方がない。結構厚着をしてバイクで心療内科へ。(完璧にうっかりしたミスで)多く飲み過ぎてしまっていたので、薬を貰いに行く。

外に出るのに決心が必要だったが、今日分かったのはヘルメットやグローブやジャケットという装備は、勿論、法律的なものと、体を守るためにあるものではあるけれども、

精神的な防御面、の方を期待して(いかにもコスプレ的な 変身願望、ではなく)、出る時はコレ、という風に習慣づけて安心感を得ようとして、ある種制服のように、

少なくとも自分は、所持していたのではないか。

必要最低限、と言い訳しつつ、普通の無防備な格好で外出するのが恐怖だったのではないか。

などとまた雑念にやられていると、車庫で転んだりするから、集中する。バイクを動かす時のこの集中、は結構 真剣になるからいいものだ、。

 

 

でも

かなり変だ、でも歩きも自転車も原付も変だ、でも大型バイクも不自然だ、と思う。もはや苦笑、に近いものがある。何やってんの。俺。である。

やってる場合か。何がしたいんだ。

勿論、運転操作は今まで何度もやってきたことで、体に染みついているし、過去に転倒させたこともあったから更に慎重になっていて、機関良好、大丈夫だな、と思う。少し走っているだけで、もちろん愉しくもある。今はバイクをかまう余裕は一切無いものの、クルマに乗ることが苦痛でしか無い。ジムニーはここずっとエンジンかけていない。全く気合が入らない。それなら危険なので乗らない。原付は自賠責保険が切れたまま放置。こちらも危ないし、もう乗れないかもしれない。好き勝手によくやってたものだ。

呆れる。自分がやったことだ。買ったモノだ。レコードや本は残るが、車両は永遠には残らないのだな。

 

もし自分が何かの経営者であったら、自分のような奴は絶対に雇わない。

 

 

 

日曜日に 牛乳を買いに行った時、小さいパックを買ったらもうなくなったので、

その後自転車でおつかい に、牛乳を買いに行き(最近はママチャリに乗るようになってきた)、帰宅したらものすごい雷と大雨。これがあるから。。こういう日があるから。

 

 

自宅にいても脳裏には真冬の、圧雪の、寒さと暗さと、どうしようもないあの光景…。逃げ場がないというか自分でそういう方へ。。。何故なんだ。知らないか。

 

 

 

すっかりいつの間にか困ったちゃんに。転落していく感。また振り出しに戻るのか。でもプラスに考えたい。なるべく前に。と。

つくづく面倒な人間になってしまったものだ。

たった一人、人間、職、食、住。生きていくことができない。いや、その努力を怠っていたか。それが明るみに出たか。

そこまで誰も考えてない。自分の中のワールドなのだ、ミニマルな。箱庭的世界。永遠に一人称のシューティングゲームみたいに。

誰も俺を見ていない。誰もあんたを見ていない。みな忙しい。誰もが、誰よりも忙しい。面倒はやめてくれ! ヤケになるなら他でやってくれ! と。

 

 

店、働く人、ルール、病院、資格、先生、道路、法律、それだけ。本当に道、外れたらもう、コッチの世界には居られない。アッチの世界は、檻の中とか病院の中とか。

あの世、に行った人に対しては割と冷たい。馬鹿にする、位のものがある。例えば著名なロックスターが死んで、雑誌で特集されて、我々は笑いながら話すし、そしてそれは別段悪いこと、ではない。先人が逝ってしまっても、自分はまだ生きていくんだ、って思っているし、後ろを向けば常に「後輩」はずらりと列をなしている。

 

 

コッチに居るから、まだこの世、に今生きているから発言権がある。

自分のような凡人には、わざわざ時間を取ってまで書くことは少ないが 何時間もかけてこうして書いていられるのは大げさに言えばかなり奇跡的 だ。

不良品で不労である状態。

 

 

まだ、何か恥ずかしい、とか、ちゃんとしなくちゃ、他者に優しくしなくちゃ、とか思えているならまだ大丈夫だとは思う。それをたまに踏み外すことがある。大丈夫ではない状態というのはそれは『普通』ではできない吐露だったり、あるいはやっとその上で何かを表現できる、ものになるのか どうかわからないが。

ジャズのフレーズのように、コースをアウトするから、メロディーをフェイクするから、音は面白い、みたいな話に強引に繋がるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 05 30

 

 

 

 

月曜の憂鬱、みたいな言葉がよくあるが、そう、

サラリーマンは月曜日は朝から忙しく働いているんだ。自分は何もやらなくても。と。社会は動いている。安易な自分語りに陥らずに、節度と責任を持って、むしろ自身が規範となっていく。ひとりひとりは、最初はそんなつもりはなくても、少しずつそうなっていく。

 

面倒臭いヤカラは『俺、なんだ?』と自問自答して。周囲を呆れさせる。いいから黙ってやれよ、ダメなら出てくるな、といったところ。

そこまで一応 生きてきて。もう子供じゃないんだから。勝手にしてたろ、勝手にしろよ。と。

 

 

朝起きられず昼間に起きる。なんだ?ああ、起きてしまった、と思う。そのまま惰眠に入らずに体を起こす。

その後洗面、髭を剃っただけで疲れ果ててしまい気絶するような形で眠ってしまう。心療内科は月曜日も休日になってしまったので薬をもらいに行けず、しまった、と思う。

ネット記事を読んでも気分が塞ぐだけなので見たくもない。ネットで貶めあっても本当にどうしようもない。現実では不必要な議論が多い気がする。

外はどんどん曇っていく。

なんとかスニーカーを履いて少し歩く。体力は戻ってきているが全身の筋肉を動かさないとまずいな、と思っている。バイクはホコリをかぶっているが磨く気にもならず売却するならするで早急に手を打たないといけない。運転などはやめているが、それで腰が少し痛んでいて逆にそれは、労働や運転が腰痛の原因ではないことを証明しているので複雑な心境になる。

歩くと草木が見られて、それは良い。田舎道みたいなものは好きなのだ。

税金の支払いをした。研修中の若い店員ははるかに年下で、とても丁寧に対応してくれたが、自分が他人の目ばかり気にしていることに気づく。働いて疲れていればそんなことをいちいち気にせず、むしろ態度が悪いだとか雑だとか腹をたてるくせに弱気になった途端にこれだ、と嫌になる。また帰り道も、知り合いに目撃されたらどうしようかとか、職場の人は見てないだろうかとか、近所の人にどう思われてるのかとか、体がギクシャクしてどうにも挙動不審で、ぎこちない。現実感があまりない。自分でも自分がおかしいと思う。変なのだ。だから休んでいる。

もともと短気で偏屈な向きがあり他人に冷たいところがあるが、今は完全に自分が一番おかしい。

 

 

何を今更考え込んでいるのか。

たくさんの人がいて、たくさんの場所があって、それは当たり前であって、何を今更止まることがあるのか。ただただ働いて、犯罪を犯さず事故を起こさず、聞かれたら答え、余計なことは言わず、悪口を言わず、物事をなるべく良い方に持っていきたい、そういう風にやってきたつもりだったが、この5月からプッツリと糸が切れたように腑抜けになってしまった。

最悪な時期は今までにもあった。今感じているのは、10代20代の、高校を中退したあたりのものとも違う何か。2008年後半からの期間、とも違う何か。

 

埃っぽくなってきたのでまた部屋を清掃する。でもそれも今までに神経症のようにやってきたことであって、具合が悪くなる。

手が震える。吐き気がする。

闇の部分も多いものの、ネット環境も無かったらとっくにダメになっているかもしれない。昔は黒電話だけで良かった、と言われてもピンとこない。昔は昔で、苦しむ人はいただろう。

 

過去にMacBookProを買っていて本当に良かった。机にこれだけを置いてみる。そうすると以前の没頭感が少し蘇ってくるのか、安心するというか、そんなことで安心してはいけないのだろうが、頭のモードが切り替わる。没我、というのか、ああそうだ、この感じだ、といった具合。

 

 

こういうことを書かないと気がふれてしまいそうだ。買って以来全く集中力がなかったが、今はかじりつくようにしている。

 

 

もちろんこのままで良いわけではないが、少しずつここ5年間あたりを振り返ってみたい欲望がある。大それたことではないし、誰もが過去を積みかさねて今があるわけであるから、自分の体感なぞ高が知れているが、この濁った頭の中を紐解くにはそうでもしないと手立てがない。ショック療法的にガムシャラになる、という手段もあるが、もうそれはできない。それをやったつもりでいたけど、足りなかった。そこでゾッとしたようだ。

 

モヤがかかったような、という表現があるが、頭の中になんとなく浮かぶ単語を思いつくまま翻訳サイトで挙げていくと、

 

靄 もや、Haze

繭 まゆ、Brow、Cocoon

霧 きり、Fog

無知/蒙昧、Ignorance

 

この辺りだった。霞(かすみ)と靄(もや)は英語で区別がないのかな、などと思って調べる。こういうあまり意味のないことを検索する。

『かすみ』は、気象用語ではないとのこと。では霧と靄の違いは。

霧は、視界が1km未満の場合

靄は、視界が1km以上10km未満の場合。

であると。おかしいもので、この手の知識はなぜか今後も覚えているものであるな、と、少し癒される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

2016 05 29

 

 

 

実はここずっと

精神状態が非常にまずく、一日中寝ているようになってしまった。全く何の意欲もなく、覚醒していることが恐怖なのでひたすら目を閉じる。

考えると目眩がして頭が重くなる。寝ても寝ても疲れている。夜も昼も寝ている。

今までになかった波に襲われている感じがある。

 

過去のネガティブな場面、こうはなりたくないなって人間、そういうシーンしか頭に上がらない。

 

 

ただただ時間の流れが早く、あっという間に日が暮れる。

さすがにあまり青臭いことも言えず、

口に出せば「気が違ったか」と思われそうなので口が裂けても言えないが、結局のところ何で生きてみんな死んでくのか、ってことになるのか。悲しい、というと大げさだが

いわゆる諸行無常の先の、メタ自我、みたいになってしまい、それを振り切って己を確立できない。あれ、なんだっけ?俺、なんだっけ?というような状態がずっと。

 

 

暗い情感を、言動や振る舞いには出さない癖がここ何年かでついてしまった。それで妙に安心してしまうが、やはり発露してしまう。

病気だとか、おかしい、という括りにされるのがまた怖い。楽になれない。

 

 

金曜に弟が帰って来て、少し癒される。 家族は優しいが、しかし、同時に自分にプレッシャーもかかる。

皆が、努力して自分の道を踏み出している。仕事をし、独立というか自立、実家とは『たまに帰る場所』、なのである。

自分は何もない。幼稚なままである。大学生活も一人暮らし生活もしていないからなのか。

今年は少しだけ県外へ労働で出たのが 実はショックだったのではないか。現実を知ったのではないか。などと。

 

 

ある意味、変化を恐れていたのであった。この5年間、今までの日常にしがみついていたかったのか。わからない。

 

 

誰だってそういう時期や辛いことがある のはわかっている。自分語りをする位なら働けばいいのだ。そう思って 今までできていたことが出来ない。体が動かない。声が出ない。

表情も固まってしまうし、死人のようだ。物音を立てたくない。他人に会いたくない。異常に怯えている。ここまでヘタレてしまったのか。 

 

本当にただの変な人、になってしまう。

まだ抜け出せない。もう少し休みたい。

 

他人はそこまで自分のことを考えていない、というのはよくわかる。しかしそれはポジティブに響かない。

今の自分自身が、自分のことすらまともにできやしない。まして他者を助けたり励ましたりは出来ない。

 

 

かなり困ってしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 05 23

 

 

 

昨夜22日、夕方まで寝こけて、日曜日がこんなにユウウツなのはおかしい、と思った。

元・劇団Logosのsasa川氏(石垣島から一時帰還していた)にTel、徒歩、オウギヤで合流、飲んでいたら、急遽 seiya-machida君も来、再会。実際4~5年ぶりに会った。

とても落ち着いた感じで、レコード屋とかDJとか、好きで、しかも音楽をやっているらしく、。その音源などは無いのが残念。

相変わらずインターネットには登場しない人なのだ。

 

 

 

わたしは休職して働いておらず、それもつらく、もう何もかも嫌になってきたところだったが、 

たまにトモダチに会うのははいいものですね。。。。

 

 

 

 

 

 

 

そしてまた何だかマニアックな

これを貸してもらいました。↓ 『Gruppo Di Improvvisazione Nuova Consonanza』Nova Musicha No. 9 (Musica Su Schemi)

 

 

 

 

 

 

手に入れるのが遅くなったけど

Haikarakakuti、2ndアルバム。厳選されたすばらしい内容。

 

先週金曜日 古町ハチハチへ行って本人からCD買ってきた。Kamata君に「いつも音源勝手にいじって悪いね」、って言ったら、全然いいですよ、って言ってくれたので安心して

わたしは『Songs EP Vol.4』に着手した。精神状態がひどくてテレキャスタァをあまりうまく弾けなかったが、『new things,old things』は絶対やりたかったものだったので.

 

さすがに今回のような、公式CDからリッピングして 編集することは絶対しない。

ハイカラハクチ、膨大な過去作の中にすでに、センスというか 才、の、片鱗がキラリと見えている ということを強調したい。

 

 

 

 

エディターズ・カフェでの演奏も聴いた。このライヴ感がたまらない。

 

LIVE IN EDITORS CAFE | haikara records



2016 05 20

 

 

 

MunePod 『Songs Ep Vol.4』!!

 

please 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016 05 10

 

 

外は雨っぽく。。

ひたすら横になる。余裕がなく己のことしか考えられない。単純に 死ぬまで生きていくという恐怖。大げさ。

家は連休後の「後の祭り」で静かでそれは助かるというか、きっと家族と会ってもアワアワして何も話せないだろうからなぁと。

親ももう あんまりなんか言わない。 でももう居場所がなくてつらい。

 

 

 

テレビドラマを観る習慣はなくてそれを聴くのも嫌でなんだか目を閉じていたい感。

 

 

音楽は有名どころだけでも 聴いていたのでメモ.

 

Fennesz『Mahler Remix』、Kyoka 『SH - EP』 Keiichiro Shibuya 『AVALON - Single』

Radiohead 『A Moon Shaped Pool』

 

 

レディオヘッドは一聴して「?」だった。何回か聴くと 壮大さとプライヴェート感が絶妙だった。

 

 

恒例の オーディオインターフェイスに翻弄されつつ

相変わらず結局 Mac直刺しでテレキャスターを弾くとこう、でたらめな奏法なんだけど触感で 音が測れるようになっていて驚いた。

どう弾いたかを自分でも覚えられないのが問題。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 05 02

 

 

 

 

国道17号はバイクも車も多い。HONDAのCBXを現物を初めてみた。

前橋。のホテル。昼まで起きれない。なんかもう目が真っ赤。

 

チャリンコでコインランドリーに行って洗濯ものを。誰もいない。監視カメラがある。コインランドリーってやはりなんか非日常的だ。コインを入れる。

ゆうに大人が入れるようなサイズの乾燥機を回して。帰る。大濃橋、という橋を渡った。マイナスイオンを全身に浴びた。気がする。

 

萩原朔太郎館に行こうかなと思ったが休館日で、ドミノピザを買ってきて食べた。

Macで『エル・ドラド』と『はなれ瞽女おりん』を観た。複雑な気持ちになった。iTunesストアでレンタルしたのは前回。期限が迫っていた。

 

 

 

 

ぐぐぐ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 04 19

 

 

 

 

熊本の地震 余震 が甚大な被害。とにかく回数がすごい。異常な事態。さすがにテレビをつけていた。

地震といえばプレートが云々、だと思っていたが そうじゃないのか、みたいな記事を読みながら 17日は仮眠。

 

 

18日の朝 掃除して レオパ出て 帰宅して。大宮は綺麗な駅であった。もちろん一人で来るの初めて。新幹線内は読書。『無常という力』玄侑氏。窓の外は天気がどんどん悪くなる。

新潟は肌寒い。クルマは埃だらけで。あとバッテリーが弱まってる感じ。原付は自賠責切れ、百烈キックするがなぜかエンジンかからず。キャブレターからガソリンがシュミテクトしてた。。ナナハンを取りに行きたいところだが疲労が。。

接骨院で保険関連の話。腰痛はまぁ大丈夫だけど股関節がちょっと気持ち悪い時がある。 その後 歩いてビールを買いに行く。念願の刺身。イカ。

 

無力感が半端でない。

気絶眠。深夜覚醒。

 

ポカーンとして、

ユウウツでもなく、怒りもないが なにか ロンリーメモリーがセンチメンタルジャーニー シャイボーイしてて心が苦しい。鍵盤楽器をチョップで叩き割りたい。

 

 

デラシダマノミグスって何ですか。変化球 照らし玉のみ。

まっとうに、丁寧にやって、ちゃんとしても、死ぬ直前は「いや、違う」って自分で思うのだろうな。君は。

夢中で頑張るきみへ 両手いっぱいのひきわり納豆をあげたい。すげぇ場違いなタイミングで。きみのテーピーピー。無駄なプロ意識。無為な風呂錦鯉。カオス。

TPP。たいへんなペラペラpayタンの略だよ。それ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2016 04 07

 

 

単発的 散文的に・

 

 

7の付く日は土砂降りで世を呪ってにこやかにスキップで日本海、入水自殺を図ろうね。蓮根で撲殺された牧師。カスピ海ヨーグルトぐらいの流行度。

セブンスターの黒いパッケージとフリスクの黒を買ったら777円でツいてるね☆ 荒縄買って自縛してェ。

 

 

 

むねむらごうちむねお 的にはレッドブル飲んでベイパー。バイパー。TVを使うとコンセントが犠牲になるから見ない。MacBookProつないでレ○ネット。○オネット。

 

 

 

 

なんの因果かはわからぬが 埼玉は加須、満擦り居 霊王パァレス に蟄居して今これを書いている次第であって、という書き出しはダサいのだが、夜景の見える格好のいいホテルなどで執筆をすればいいのかというとそうでもない。やってみたい。多分だめ。

 

 

非正規社員・フリーターであり続けることに関してプロフェッショナルさを失わないことに定評のあるわたしが、急に過去を振り返っても誰も読まない気にしない。それならば 法に触れない程度、社会/会社に迷惑がかからない程度に書き綴っていこうと思って急に書き出したが、思うに、自分自身が生きていることで結構自然界には迷惑がかかっているんじゃないの、みたいにも思うわけであって、回りくどい。諄い。口説い。

 

 

2016年4月であるが、2015年の話をしてもいいのか。いですか。ええよ別に。

誰も出勤したがらないので、毎年そうなのだが。12月大晦日はまたぞろ、〆の作業を し、とっくにハッピーニューイヤーである。カウントダウンに気づかない時もある。

深夜1時くらいか。ジムニースコットを飛ばして 自分が通っていた小学校の脇を通過して帰宅するのだが、毎年初詣を終えて帰る人々が見える。結構な人数がいる。その中にその日は弟(帰省中)が居たらしく、ギアチェンジをするところを目撃された。その後一緒に家で味噌ラーメンを食べた。