2020 12 11

 

 

 

普段ウェブを閲覧していて、YouTubeが大量に貼られているブログなどは、一見してげんなりするから読まない。かといって、例えばTwitterなどでSpotifyやApple Musicが開いてしまう、アプリが立ち上がってしまう、のも自分は好きではない。別に共有しなくとも.. そんなに情報発信しなくても...と思ってしまう。

目まぐるしい広告、イメージ。刷り込み。フラッシュ。一発の記憶。

映像や写真を見ると、意識の大半はそちらに行ってしまう。あまり物事を、(自分の言葉で)考えなくなってしまう。それはあまりよろしくは、ない。

 

 

それならば物言わぬ文字、絵画、だけの侘び寂び、その世界におればいいのか。それが静謐か。

ライヴ演奏ではない、録音された音楽作品というものに対して、デメリットをあげればキリがないが、確かにその佇まいだけでは制球力・請求力を発揮しづらい面もある。

特に昨今の情報過多状態、音楽ならどんなに大音量で聴いても、聴き手の精神や身体の調子いかんで記憶に残らなかったりすることもある。自分も最近不真面目で、サブスクリプションやネット上の動画を、AirPodsPro(イヤフォン)で聴く事もある。

それでもわかるものは、わかる。いいものはいい。

 

これらの映像と演奏、人間、のすごさよ。

(それが映像でも)人間と対峙することで、ハッと襟を正すというか..危機感が触発されるのか、視聴覚が刺激されるのだ。久しぶりに熱くなった。

何が言いたいかというと、YouTube動画を貼り付けます。このウェブログに。ね。

 

 

 

最近YouTubeで観たもの集. 

 

         CD買うか悩む。ダイジェスト版。チラ見でもすごい。     

           

         こちらもいい演奏。観ていて楽しい。飽きない。

 

 

今年になってやたら名前を見掛ける人で、サブスクで聴いたりしていた。が、まさかのジムオルークと。

謎。今年の夏に出ていたのか。↓

 

 

全く知らなかったアーティスト。Twitterで見かけた。

「Sarah Davachi『Cantus,Descant』哲学専攻後、音楽学博士を修了したカナダ出身」。こちらも2020年。歌もあり。なかなか。謎。静謐。



 

 

 

2020 12 10

 

いっさい外に出たくなかったが来週は更に寒くなる。冬用ティンバー履いて。目当ての麺ラー復活コクまろ、堪能。アルコールティッシュとマスクはもちろん手放せない。ノロクリア、も最近供給、出回り出した。クルマ窓曇り止め。空気圧チェック&入れ。バイク用携帯空気入れで充分。筋トレがてらシュコシュコ。『初めてのFF車』はフロントのほうが、高め。エリクサーギター弦購入。YAMAHAのセミアコ?ヴィンテージなものが8万以下。しばらく見る。買わないけど。買い置き用菊水天ぷらうどんアルミ鍋付きのやつ中毒。カツオならぬ鮭節。冷蔵ピッツァは無く。最近食欲あり。職場は寒いが、とにかく風邪をひけない。今は。いや、これからも風邪は引けない。発熱とか出来ぬ。近所の中古屋でハンティングワールド、というところのショルダーバッグがとても良く、ビビッと来てしまった。絶対に使わないから買わないけど観賞用に欲しくなった。うわっ、と思った。絶対に使わないけれども。

耳鼻科。点鼻薬。鼓膜異常なし。

インフルエンザ予防接種、訊いたら、おせぇよ。おめぇのぶんは無いよ。言われ。

車内BGMラジオはずっとユーミンとか、♪ロマ〜ンスの神様とか、♪ゲッダン、なんちゃらかんちゃらうんたら恋ゴー↑コロ〜とか、妙に良かった。あんなに四つ打ち感が引っ込んでいたんだな。関心。

 

 

Amazonプライムでダイの大冒険、昔のやつも観てしまった。声優陣。すごい。魔王役も。

2020年版も更新されるたび観るが、映像の綺麗さ、音質の良さ、はこちらがすごい。当たり前。

それでも旧式の、あの時代の声たち、は本当に合っているし迫力があった。このアニメ、まじめに観た記憶は無いが当時テレビでは流れていたはず。でも子どもの頃は、声優がなんたらなんて気付かない。今になって観ると構成とか持って行き方、うまいなーと思う。漫画本も買い直したいが、値が張る。

 

エレクトロハーモニクスのエフェクター気になる。在庫がなくなるとあぶない。

ギブソンES-335気になる。本当のヴィンテージものもあればここ数年のもの、新品傷ありとか。微妙にリアルな値段で、危ない。本当にあぶない。うっかりクリックするとあぶない。一度冷静にならねば。ハイになっている。年表少し加筆。ネットで調べないと記憶が怪しいものも、ある。書き出すとまた生々しく思い出す。それを書き切る体力と時間が無い、と言いたいが本当は文章を書くときは酒が飲めないからつらいだけ..

 

 

 

最近読んだ本.(新品で文庫本購入していた)

思い出した本. まだどこかにある。震災後に中古で買った。2011〜2012に。

 

 

 

 

 

 

 


 

多目的広場イベントの翌日、12月5日、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール『The Over Drive Show』を少しのぞいてきた。というか10年ぶりくらいに、流れる動きでテレキャスターをケースに入れ、ポールスミスのリュックにエフェクターを詰めて。あわよくば...と実は。思って、行った。最初だけちょこっと音出させて貰った。

前日の多目的広場パフォーマンスが興味深かった、小野田賢三という方と話をしたりした。最初、布袋と同い年、と言っていたから誤解した(わたしはそっち系は全く知らないので)。ホテイ感、出されたらどうしようかと。ベイベベ ベイベ ベイベされたらどうしようかと思ったが...

当日、楽屋入り口には布袋モデルギターが置いてあった..。

後で知った(ググった)が すごい経歴の人だった...

 

 

 

 



 

 

 

 

購入したCD・(多目的広場 物販にて)       

 

 

 

 

Toryo Ito • Takamitsu Ohta • Asuna + Minoru Sato • Eisuke Yanagisawa • Fabio Perletta "ほどける耳 - Hodokeru Mimi" [CD]

 

 

 

『2017129日に京都の建仁寺両足院で開催された、大田高充主催のコンサート。

フィールドスキはもちろん、物音好きは要チェックです。

副住職・伊藤東凌、佐藤実(=m/s)+Asuna、大田高充、柳沢英輔、イタリアのFabio Perletta

 

12月の寒い日は大気を凍らせて永遠のものにする。鳥たちが通り過ぎる。工事現場。止静の音から坐禅が始まる。控え目な仕草と木の滑らかさ。廊下を渡る足音。床の軋みが聴衆の息苦しい静寂を破る。もみじの枝の間に風が流れる。カエル、水、森が自然の儚い美しさを思い出させてくれる。オルガンの機械的な不完全さと共鳴するガラス管が響き渡り、空間を温める。生音、遠く離れた空間、ミニマルで分断され、静かに展開するテクスチャーで織り成された音の分子。認識が変わる。秋の風景が過ぎていく。苔、石。乾いた庭。小屋。5人のアーティストは、深紅の赤と淡い茶色の色合いでゆっくりと慎重に環境を介して伸びる細密でミニマルなサウンドで時間と内省を呼び起こす。トランジション。暗い通りの電気的な輝きが、祇園の静寂の上に光を放っている。絡み合った糸が緩み、ほどけていくような開放的な体験は可能なのだろうか。北半球が秋から冬へと静かに下降し始めた今、私たちの周りにある飽和した世界の中で、うまくいけばあなたに息をつくスペースを与えてくれるような音をお届けします。ほどける耳、耳をほぐす。

このアルバムは、2017129日に京都・両足院で開催された、大田高充とSUKIMA INUDUSTRIESの浅利大生が主催したコンサート「ほどける耳」の模様を記録したものです。』

 

 

 

 

 

         カシオトーンコンピレーション3も。↑  その物販で買った。

詳しくはロスアプで↓

http://losapson.shop-pro.jp/?pid=35630719

 

 

 

 

 

 


2020 12 04

 

 

 

転載ですみませんが

今日はこの催しに行きました ↓     『偽ター』

 

午前中起き。頑張って。風邪疑惑は去り体調良い。午前のうちに耳鼻科。火曜日、金曜日午前は元祖・先生が診るから。理事長だから。他の曜日は息子さん先生(院長)が診察。それにしても空いている。新型コロナのせいか。10年前の自分に見せたい。耳鼻科、こんなに空いてるよ、と。本、『短歌の友人』読む暇なく。あまり進まない(仕方ないことだが後半、わりとカジュアルな現代的短歌そのものにやや飽きて、ダレてくる)。

各地でアルコールティッシュ購入後、タイヤ交換。鯛焼き公館(公の場でタイを焼く機関)。換え。

その後麺ラー。アメン・ラー。とても空いている。アルコールティッシュとマスクは欠かせない。塩。

風邪ひいた時に着るためのフリースのジャケット。ユニクロ。山賊みたいな、ファー。なかなか良い。爺様にも買うか。1290円。山賊みたいな、ファァ。

雨降って来た。7年ぶりにダウンジャケット購入。ダウンジャケット買うなんて事件。ヤマト運輸それを受け取り。

 

夕刻、解きまっせ朱鷺メッセ。ルートは覚えた。意外とすぐ。クルマ、停めたらば、付近散策すると、とても良いかも。歩いたり。青島ラーメンもあるし。船もあるし。スケーターの兄ちゃん3人居た。

 

多目的広場。18~21時。無料。

アスナ氏、ノセヤマ氏。サトウミノル氏。観るのは初めてではない。

着込んでいったが、最後なんだか寒さに耐性無く。震える。こんなにも寒がりBoyだったか。まだマイナス行ってないのにも関わらず。会場にあったのは ダ○キンのセラムヒート。

帰り道すこし迷いそうになる。美咲町。車内BGMはCD、物販で買ったもの。

 

休日、こういうところに出かけるのは勇気が要るが、出るまでは億劫で仕方がないが、帰り道は「行ってよかった」、と思えた。日常と繰り返し。それが嫌なら破壊するのは自分しかない。自分でしか、ない。

それで具合悪くなってたらだめ。そこで使う言葉は自己責任。『奴隷の鎖自慢』、は、ラク。本当はそこに安住しているのだ。自由な自分、の時間を取る。というと大げさで小っ恥ずかしいが、いっとき、フリーの自分、鎖に繋がれてない自分を確かめる。そこに居させる。

そこに居る。居た。

 

スゥパァマァケットでビィルやらピッツアやら買って、出たら、父。駅から家まで歩いていたところ。

見かけてクルマ、乗せて帰る。なんというタイミング。さむいね。と言ったら、

今日は全然寒くない、俺の息子とは思えん!と言われた。焼酎お湯割り。麻婆豆腐を食い、ほたえた。

ブランデーお湯割りもわりといける。。。 

 

 

 

 

 

 

 

 



2020 11 20

 

年表は別ページに移しそちらを更新していく。左側のメニューから。書き出すと止まらぬ。

 

 

 

 


2020 11 04

 

 

夜はヘッドフォン。帰宅後、今日はやめとくか、と毎回思いつつ部屋まで取りに行き、耳痛めないように。でもついつい爆音。昨夜は鎮座ドープネスの、コロナ第一波の後の..夏?の魔物?の無観客ライヴ映像。今までで合わせて3回くらい観た。知ってる曲も、あった。YouTube。

そういうノリでもない時、佐藤龍一氏新作CDから『真夜中の訪問者』、YouTubeで観る『あわせ鏡』が染みる。少しシャウト気味なのがいい。曲には歴史があるようだがこの動画自体が上がったのは3年前か。 

 

CDからリッピングした音源、聴こうと思ってもついついYouTube。映像があるから。

あとApple MusicやSpotify。どんどん関連が出てくるから。

便利だが悩ましい。

 

 

昨日はラーメン屋。耳鼻科。インフルエンザ予防接種まだやったことない。今年は受けるか。清掃。空気清浄機。本棚整理。テレキャスター弦交換。いくつか店を回り少しずつアルコール除菌系のものを買い。

初期化したら爆速化した、旧MacBook Pro(2014)をいじる。

 

今日は量販店タイヤ見たけどもちろん高く、買うわけない。モスバーガー チリドッグを食べ。このウェブログ一番下、年表書き足し。記憶とはなんだろう。年月が違ったりして、直す。こうやって自分でもなし崩し(本来の意味は違う)になっていくのか。その時その時は必死なのに、あとになると1年や2年は誤差の範囲、どうでも良くなるのか。それも変な話だ。

下らなすぎて限界を感じるものの、こういう書き方しか、今は、できない。まともに書き出そうとすると今度は、意味のない細かい事が幾らでも出てきて止めようが無くなる。

面白ければいいけれども。

書いてるほうはあまり面白くない。

 

 

 

 

スタン・ゲッツとパット・メセニーのアルバムは少し調べて情報貼り付け、改めてヘッドフォンで聴いた。CDを買ったのに、ボーナス・トラックはサブスクリプションで聴くという皮肉。

 

 

おにめつ の は、というアニメーションや映画が巷を席巻しているが、知らないフリ。

ダイの大冒険 2020を観る。なんか、今のひとが見ると、どうもおにめつ、と比較するみたいだけれども、『修行して大岩を割る』のはこっちが先です。パクリじゃありません(おじさん感)。というか昔からよくあるだろそういうの...ジャンプ的に...

 

オトナも一緒になって飛びついているのがなんだか。でも、

ゾンビものやパンデミック系の映画、ホラーゲーム、からの系譜、その視点で、コアな人が語っていたら、きっとそれは興味深いとはおもう。時代性。公式性。公共性。原作。

 

ダイの大冒険、

耳の手術で入院中、作者の名前の書き方も分からない。爺様に買ってもらう。病院の売店でも最新刊が売ってたような。

この漫画で少し言葉を覚えた。わからない言葉は親に聞いたりした。今覚えているだけでも..

         ↓

コンセントレーション

武士の風上にもおけぬ...

心得た...

箔が付く...

ええい、ままよ...

精神衛生上...

クール...

にわか...素人...など。あと推参(すいさん)、とか。

 

 

後になって、歳もとって、インターネットで取り上げられているのを見ても、笑い飛ばしたりネタにされていたりもして、不快じゃなく、嬉しかった。実はポップが主役だ、魔法使いの爺さんの渋み、戦士の意地、女キャラはちょっとエッチだ、などなど。。現代思想、とか深層心理が云々、は、あまりない。子ども向け、だけどしっかりしてた(今観ると展開の早さはすごいな)。

また読み直したいから買うか、と思っていたがそこでこの度リメイクアニメだからこれは必見だった。

「インターネットで取り上げられているのを見ても、笑い飛ばしたりネタ」にできるようになるのは、後なのだ。子どもの時はシリアスに吸収する。

 

 

30歳を過ぎてしまったら、ゲームアニメ漫画について語るといっせいに煩型(うるさがた)になってしまう。だからいけない。

批評の声をまだ持たない、言葉を持たない、自我すらない純粋な人間が(まずは)読むものなのだ。

そして後になってから気づくのだ。ああ、あれはこういう事だったのだな、とか。これ、おかしいだろう、とか。 

 

批評精神と言葉を持ってしまった大人は、『知って』しまった。もう純粋な子どもには戻れない。

そのピュアな時間はもう手に入らないから、茶化したり、ギャグにしたりする。『後になってから気づいてしまった』者は、知らない振りは出来ない。そしてそれはすこし悲しい。おっさんブルース。

 

汚れた大人は、それ(純粋性)が羨ましい。

歪まない大人、など居ない。

人生の一回性、憧れ、嫉妬、支配したい、操作したい。。

最初は誰が影響を与えるのか。

もっというとそれは、変態性とか少年愛とか、とか危ないものとも、どうしても関わってくる。 「お前の最初になりたい」と。

実を言うとこういう事を考える事が自分は多い。あまり人には言えないが、、 放火魔の心理。小児性愛者の理由。露出狂の愛執。変態は純粋か?逸脱してしまったひとか?  →犯罪です。

 

これだけだと危ない文章になるから、今後も思いついたら、書く。  

               頭の中のいろんな根拠の無い考えは? →合法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2020 10 30

 

           SENNHEISER オープン型ダイナミックヘッドホン HD660S

 

           onso 01 6.3(3極)-2pin(L/R) ヘッドホンケーブル 3.0m 

 

 

 

 

部屋を暗くして、ダークモード設定のMacBookをさらにNight Shiftモードにする。そうするとブルーライトがカットされて目の負担が軽減されていい塩梅だ。と思う(でもそれに科学的根拠はない)。

そのまま少しボサっとしていると、なにか書きたくなってくる。最近、情報に触れるということはどうしても映像や動画がメインだから、それらを観てボサっとしていると悠久の時間、にそのまま身を任せてしまって後悔する。後悔は嫌だ。でも書きたい。本、とかは作れないから、ブログならどうだろう。古いか。

よく見ると日本語っておもしろい形をしていると思う。ウェブサービスのnote、とかを読み出すと止まらない。書き手のクオリティも高い。様々のこと、もの、ひと、についての、文章たち。自分も何かこう、意識の高いものを書きたいと拳を握りしめたが、結局、年表のようなメモ書きしかできない。

 

 

 

SNSは書き直しをしない文化であるな。リツイート。バズる。瞬発性。それはそれでいいのだが、無責任、といえばまぁそうなってしまう。

自分は今、何回も書き直されたものの方が読みたい。10歳とか20歳も上の、昔からウェブログをやっている人たちはそのへんしっかりしているなと思う。

と思ったがそれはおかしい、本末転倒な話で、元々、字を読むと言ったら紙だ。本だ。そっちが先だ。

お金を払って本を買い、大事に何度も読むのだ。 本来はそうだったはずだ。

 

 

 

 

 

 

夜中に文字が浮かび上がってくる。と言うと詩的だけれどもそうではなく、没入しているかしていないかの違いなのだろうな。何事も着手する前はやる気にならない。エンジンがかかるまでが大変。『スランプ時はベッドと机(仕事用)の距離がとても遠くに感じる』と、ある作家が書いていた。集中しているときは全く気にならない。「乗」っている時は、環境や機械はその時あまり関係がなく、身の回りの全てが「良いもの」に感じる。そういうものなのだろう。

 

 

今日はランニングをした。ずっとサボっていた。走ると、きついけれども非現実感がある。古いバスケットシューズはすぐに雨でびしょびしょになり、駄目だった。

 

最近はサブスクにYouTubeなどのサービス側と、携帯端末の本体側の垣根があやふやになってく。どちらも似せて、寄せて行くから。自分でも今何を操作していたっけ?となる。

 

オーディオインターフェイス出力からのヘッドフォンで、アキヒコマツモト氏のYouTubeチャンネルを聴きながらウェブログを書く。

 

 

 

 

 

 

最近読んだ本.

 

 

ヘヴィなものは読めず。ほむほむ氏のエッセイは、サラりと読めるが決して無気力ではない。少し笑えたり、たまにハッとさせられる。pha氏がよく言及するから気になったのが始まり。

自分はまず『世界音痴』でハマった。

 

ハルキ本。

 

『雑文集』はかなり前に買ってあった。とりあえずジャズミュージシャンのビル・クロウの名前を覚えておこう.

 

『1Q〜』も『騎士団長〜』も読んでないけれども。『多崎つくる〜』は2日で読んだ。すっかり読書しなくなった母親にも読ませた。うまい小説。うまい。

『極北』は凄かった。新品で購入、予備知識ゼロで読みだしたが引き込まれた。原著がいいのか。訳がいいのか。一気に読んでしまう。また読みたいくらい。なんというか、こういうの、好きなんだよな。ラストオブアス(ゲーム)とか好きだしな..もちろんこっちが原典(先)だろうけど..

感想は...わたしが何か言えるものじゃない。そんなシロモノじゃあない。そろそろインターネット検索してみようかな、どういう評価かな。と思っている。

 

 

シーナさん。新品で購入していた。弐も買わなければ。いろいろ思い出して面白い。自分は、10代20代に読んだものの記憶。その集合体。記憶違いがあったりもして。

タイトル通り、本人が、出てる、本。寝る前に読んだ。(短編)小説も合間に挿入されていて、構成がナイス。SF。小説。笑いとシリアス。家族。なかには、本人も覚えてないようなものも。

 

 

 

 

 


2020 10 23

 

 

このページの一番下の年表(?)を更新していたら力尽きる。いろいろ思い出しながら書き出していくと、記憶の波に飲まれそうになって苦しい。なぜって、書きたくなってくるから。

もっともっと、と。何か精神がやばくなってきているが、いつもそう言っている気もする。

でもそこに拘って止まっていては、また長ったらしくなるので、どんどんメモ書きしていく。事実を確認しながら。どんだけ自分語りが好きなのか自分、、大丈夫か自分。そんなに大した人生とか、とりたてて何かあった、わけではない。地味でシュールすぎておかしい。泣けてくる。

そもそも自宅に逼迫している時点で、自立自活している人からすれば、きみは全然ダメだろうが甘ったれんなバカタレと言われるだろうから、あまり大きな声で自分の半生など語れぬ。言えぬ。

 

 

 

 

それにしても大した人生ってなんだろうか。

バイリンガルどころかトリリンガルで、FBI・CIAと擦った揉んだと絡み、国際的マフィアに狙われ世界を股にかけ亡命、なぜか紛争地帯を駆け抜け、謎の美女と一緒に爆散する飛行機から飛び降りて危機一髪、無人島でしばらくサバイバル生活後、昔、船着場で酔っぱらいに絡まれていたのを助けてやった人のいい船乗りの男がたまたまボートで通りすがり発見され実はそいつは謎の美女の生き別れた弟で...とかそういうの か。

 

なんで書くんだろう。なぜ 人は 黙っていられないのだろう。なぜSNSをやるのだろう。noteを書くのだろう。ブログを書くのだろう。

 

話のオチがない。

 

隣の芝生は良く見える。他人の幸福。反発して対抗したくなる心理。良く(いいように)見られたい。

承認欲求(わかってほしい)。自己顕示欲(どうだ)。人生の意味(崇高)。死にたくない。食べたい。生きたい。怪我したくない(本能)。全て通常にしておきたい(社会性)。そして他人も通常にしてくれてなきゃ、回り回って自分が困る(期待)。

 

 

今日はウェブログを書くまでに、ウェブログを書く以外のことをほぼ全てやった。それまで自分はソワソワして落ち着かなかった。書き出したら落ち着いたが、今度は、ああ、あれも書きたいこれも書きたい。。。時間が無い、いや、あった。時間はあった。オチがない。

 

これが歳を取るということなのか。

青春の終わり。淡いカーブを曲がった後に、「この先おっさん注意」の看板。原色。

目先の事はすぐにバックミラーに映る。消えていく。

20代の頃は自分が30代になるとは思っていなかった。

 

もっと夏に驚いていた。もっと冬に寒がっていた。もっと春風を感じ取っていた。

秋風にメランコリィになることは、それは無かった。 これが歳を取るということなのか。

これが歳を取るということなのね。

 

 

地方の痴呆。認知のズレ。ズレの認知。自信と自負の喪失からの自我の喪失。狂うことへの恐怖。

恐怖はダサいから取り繕う。演技をする。

自分でも自分を忘れてしまいそうだから、おそろしい。何気なく見ていたAmazonの関連商品に『スペースキーを使って空きを作るのはやめなさい』、といった本があったりして、それを見て また おそろしくなる(ここ数年、何かしら書く文章の間にスペースを入れないと何だかわかりづらくなり、不安になってきていたところ)。

 

 

 

とにかく、その時に聴いた音楽や読んだ本、は、記憶のガイドになる。予備知識なく入手したりして、あとから調べたりする。

娯楽・エンターテイメントを批判するわけではないけれども、アニメーションや漫画、ゲームはなぜか、熱が覚めたあと虚無をもたらす面もある。だからあまり言わないようにしている(好きだけれども)。

 

昨今は情報量が過多、音楽も、他人のウェブログやレビューをさらっているだけで限界を感じる。まず圧倒的な量。

そもそも作品自体が含む情報も多く、はっきり言ってついていけない。

そうすると、自分はわざわざ感想を言わなくていいな、と思ってしまう。負けじと記事を書かなくていい(消費や享受はするけれども)。

 

でもでも

それでも読書などは、一見地味だけれども心にずしりと残していく。そういった『もの』達はきっと永遠に不滅だから良い(そこに自分が居なくても)。

 

 

 

 

 

 

中古CD(ブックオフ購入)          

                                                   

 

                         『Getz Au Go Go』

スタン・ゲッツ(ts) アストラッド・ジルベルト(vo) ゲイリー・バートン(vib) ケニー・バレル(g) ジーン・チェリコ、チャック・イスラエル(b) エリシオ・ミリト、ジョ ー・ハント(ds)

★1964年8月19日、ニューヨーク、カフェ・オー・ゴー・ゴーにてライヴ録音

 

Corcovado (Quiet Nights Of Quiet Stars)2:40

It Might As Well Be Spring4:13

Eu E Voce2:50

Summertime8:00

6-Nix-Pix-Flix1:30

Only Trust Your Heart4:00

The Singing Song3:28

The Telephone Song1:55

One Note Samba3:15

Here's That Rainy Day6:00

 

 

 

 

 

 

                                         

What's It All About

                                         『What's It All About』 Pat Metheny (2011年)

  • 01. The Sound of Silence  
  • 02. Cherish  
  • 03. Alfie  
  • 04. Pipeline  
  • 05. Garota de Ipanema  
  • 06. Rainy Days and Mondays  
  • 07. That’s the Way I’ve Always Heard It Should Be  
  • 08. Slow Hot Wind  
  • 09. Betcha by Golly, Wow  
  • 10. And I Love Her 

 

 

1.サウンド・オブ・サイレンス/サイモン&ガーファンクル 
2.チェリッシュ/アソシエイション ~ 71年にデヴィッド・キャシディがカバー米国で9位を記録 
3.アルフィー/シラ・ブラック ~オリジナルは映画挿入歌としてソニーボノが編曲、シェールが米国で66年8月27日に最高位32位(8月6日チャートイン)を記録。またディオンヌ・ワーウイックが67年に米国で15位。スティーヴィー・ワンダーが別名Eivets Rednowで、インストゥルメンタル(ハーモニカ)として68年に米国で60位を記録。 
4.パイプライン/シャンテイズ ~日本ではベンチャーズが絶大な人気を博していたので、オリジナルよりもベンチャーズのバージョンが有名。 
5.イパネマの娘/アントニオ・カルロス・ジョビン 
6.雨の日と月曜日は/カーペンターズ 
7.幸福のノクターン/カーリー・サイモン 
8.スロー・ホット・ウインド/ヘンリー・マンシーニ 
9.ゴーリー・ワウ/スタイリスティックス 
10.アンド・アイ・ラブ・ハー/ビートルズ 

・・・・・・・・・・・・・・
ボーナストラック
11.ラウンド・アバウト・ミッドナイト/セロニアス・モンク
12.ジス・ニアリー・ワズ・マイン/ミュージカル「南太平洋」より

Pat Metheny
baritone guitar
42-string guitar #1
6-string guitar #4
nylon-string guitar #10

 

 

 

新品CD(通販)

 

 

データで購入したもの

     suppa micro panchop  『Lucky For Voyage』

                OTOMO YOSHIHIDE  『SMALL STONE』



 

 

2020 07 22

 

 

 

 

ウェブログを書き出すのが怖いような。なぜなら、書き出したら止まらなそうな感。があるから。それは焦燥のようでいて、実は密かに嬉しかったりもする。ああ、自分はまたいつかこうしてキィボォドを叩くぞ、書き出す前はとても、だるく、脳内は濁っている。パソ・コンと自分の距離が何万光年にもあると感じるというのは言い過ぎで(古い言い回し)、2㌖くらいにしておく。光年、とかはない。分からない。

 

濁った脳内は朽ち果てた箪笥の中に。鬱病の豚肉にウジが沸いて腐っている、そんなイメージ状態。書き出すとスルスルとスルーしていく、元々あった構想/着想はどこへやら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして結局何が言いたかったのか、書きたかったのかすらどうでも良くなっていく。生産性なんて無くて良い。よく、先生、と呼ばれる人が「講義をやると、結果、自分が一番学ぶ」ということを言う。資料を用意するから。だけではなく、きっと説明口調の中で、覚醒する部分があるのだろう。アウトプットのつもりが、なぜかインプットの手掛かりにもなったりする。声に出す、文にする。外に出してみる。

それがある意味究極のインサイド。

 

 

今自分がしたいことは、完全無職業になり、朝までこの自分のウェブログを書き続けて、そのまま寝ずに昼はウットリしてアコースティックギターを奏でながら自作の怪しい唄をうたい、ウットリして煙草を吸って夕方寝て、また深夜にポチポチやりだす、というパターン。そういう無限ループ。旅とか旅行とか行かない。観光とか、しない。書く。死ぬまでそれを続ける。

 

とかなんとか言って、実際は、やらない。これはハッタリだ。八田(はった)・リーさんの八犬伝だ。もちろん、そんな人はいない。

それを実際にしたら、健康を害する。保険証もない。

それを実際にしたら、ただのニートがギターうるさい、みたいになる。狂人扱い。

それを実際にしたら、死ぬる。年金もない。

 

20歳代の頃、うだうだ期間は結構、あったが、無駄では無かったが、それには、そのノリ、にはもう戻れないと思う。むりこ(無理)に戻るべきでもない。

労働は嫌だが、今もたまに失踪したくなるが、なかなか辞められない。

仮に、好きなこと全てやっていいよ、と、言われたとする。そういう状態になってみても、実は効率が悪い。経験上知っている。

 

30歳過ぎて、ブログを書き出すと?DAWを立ち上げると?本を読み出すと?一瞬で時間がなくなる。焦りと汗、カリカリする。だから効率を求める。

優れたアート作品なんかは、たとえ人類の歴史に深く関わるような重厚で厳しいものであっても、効率よく、洗練された、凝縮した怒りや憎しみを表現していく。表現されるほう(鑑賞者)は、ラッキーだ。生きていて、それに触れられるのだから。たとえ作家は死んでいても。その人の時間をチョット もらえる のだ。知識がないのはイカン!本質をわかってない!とか言われようが、それが全て。受け取った側が感じたことが全て。アーティストはそこに照準を合わせないとならない。合わせている。合わせなくても良い。

 

 

もはや 本読めないけれども。

ヒッピームーブメント..とか。日本のフリージャズの..とか。戦時下のピアニスト..とか。クラシック音楽などは、1600年だとか1700年とかの楽曲が普通に出てくる。

外国の、しかもむかーーーーしの話だから、自分には全く関係ない、と思うかもしれないけれども、そう思えば思うほどアート、制作物は、その存在を増してくる。対象が未熟で若年であればあるほど、「わからない」ものであるから。なんというか、わからなさ、が取っ掛かりになる。文鎮になる。重石になる。ロックされる。後からキックが来る。

大人になっても「わからない」かもしれない。

 

 

 

 

 

普通の人が普通に生きる場合(どんな場合だ)、SNSをやらない、やっても匿名&鍵掛け、というのが、最近分かるようになってきた。納得した。得心した。

アウトプット。創作。そういう話はいったん抜きにして、ただ単純に、自分が情報になるのが嫌、なのだな。これだけ溢れている。氾濫している。芸能人も素人も、ゴシップ、炎上、猫も杓子もグルメ、経済、煽るニュース、陰惨な事件、様変わりするインターネット。しかも皆さん、バイトじゃない、仕事、しながら。結婚、子ども。積み重ねてきた生活。が、あって。同級生?...会いたくないな。からむなよ。面倒はたくさんだ。うんざりだ。心かき乱されるのは嫌だ。詰みあげてきた防御。対処。ストレス回避。色んな意味で「空気の悪いところ」には行きたくないな。家では静かにしていたい。

外ではスーツを着ているが、社会性の仮面脱いで、リラックスしたい。信じられるし、許せるのは、夫(妻)や子ども(孫)や犬(猫)だ。皆が、自分のワールドを持っている。他の奴らは知らん。アーティスト?ああ、Jポップ歌う連中のことか。いや別に俺は旅から旅のバンドマンではないし。と。

 

 

そんな中で、「痛く」なく、悪(ワル)でもなく、叩かれず好感を持たれ、可愛い猫を飼い、洒落た料理を撮り、ドッグヨガをし、無農薬野菜を食べなきゃいけない?のか?ネットの発言には気をつけ、健康に長生きして。Instagramにアップして。じゃあ俺も流行りのYouTubeでもイッチョひとつやろうか。

とは、ならんでしょ。

そしてそれはまともであるな、と、最近思い出した(当たり前か)。

 

 

おじさまおばさま達のSNS観、が気になる。

もともと、若者がやるものなのか。

 

 

 なんの話かわからないし、オチもない。矛盾が出てくる。メッキが剥がれていく。

 

 

 

最近〇〇してないなー。〇〇しなきゃなー、なんて思わなかった。そう思うことがもう、すでに囚われている。ハマっている。

 

頭の中が全く整理できないまま過去は忘却の彼方、そして反復、繰り返すだけの毎日。たまに、全てをやめたくなる。「やらなきゃいけない」「ちゃんとしなくちゃいけない」というそれらの言葉は、誰が誰に向かって言っているのか。 というと、自分だったりする。じゃあ、いいじゃん、ユルく考える。

事実、堕落したこともある。でもそれで楽になるどころか、自分がつらいのだ。つらい経験があるから迂闊に手放したり辞めたり出来なくなっていく。

ダサい繰り返しで、何かが良くなっていくような気は、しない。でもその何気ない繰り返しに見える生活にも色々意味があって、オトナになるというか、さすがにこれはダメだ、とか、ここがユルいと死につながるから危ない、とか、失敗を経て洗練されたその果て、であったりする。

で、便利で安全な社会を作って、生活を安定させて、人生を軌道に乗せて、怪我しないようにして、

じゃあ、じゃあさ、

          

                 その先は ?

 

その先をまた考えてしまうのが人間。なのか。生きてくのに精一杯、聖衣いっぱい、からの、余裕とゆとり、が心に生まれれば、また不安になる。破壊する。宗教。哲学。アート。また飽きる。また戻る。老衰で死ぬのが美徳という社会に「しなくちゃいけない」、誰かが言い出す。自死を選ぶ人もいる。尊厳。誇り。介護。老後。国家。妄執。イメージ。象徴。など。

 

 

 

 

 

 

 

 

大袈裟だけれども極限状態の時のほうが、脳内にしっかりと記憶が刻まれる。格好よく言えば孤独、とか自分しか『そこ』にいない、『それ』を知らない、他の誰にも分からない、という感情。自分の場合はそれを覚えておいて糧にするようにしている。最近は...というか常にアウトプットがイマイチだけれども。

 

 

それでもこの10年、元号や西暦が混乱してさすがにわからなくなることがあるので

今後のメモ↓を随時更新していく所存。理系の人のように、スライド交じりで説明すれば、面白いのだろうが、、とりあえず思いつくまま走り書き、後でまとめる。改竄ではなく編集する。記憶が交錯する。

怪文書みたいになっている。急にどうした。死ぬのか?自分。

音楽や本はここには少ししか出てこないが、当時何を聴き何を読んだかは、覚えている。。その時使用していたiPhone、ヘッドフォンなども。

不謹慎ながら、亡くなった人のことを思い出して書いておく(敬称省略する場合あり)。訃報は、スマフォのニュースで、Twitterで、TVで、知る。知ってもその時は隙間時間だから、思いを馳せたり出来ない。そして、そういう事がどんどん増えていく。

隙間を埋めたい。ミーハーな自分だが、好きな表現者たちは、そういう『埋めるための地盤』、「土俵」を持っているから、真似したかった。憧れていた。埋没した記憶のスポンジ。スピン字。形容の要らない本当の言葉達。概念の中毒者。虫食いの脳内。捧げるカンフル剤。強烈な自我を持つ『カリスマ』に、人は、自分を少し発見して、そこに安心する。カリスマ性や天才性は努力では無理。遺伝もしない。天才に憧れている時点で、天才ではない。憧れという言葉だけでは、近づけない。

 

 

 

 

年表-極私的 ↓